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この項目では、京都市にある寺院について説明しています。岐阜県美濃市にある同名寺院については「鹿苑寺 (美濃市)」をご覧ください。
鹿苑寺
舎利殿(金閣)
所在地京都府京都市北区金閣寺町1
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度2分21.85秒 東経135度43分45.71秒 / 北緯35.0394028度 東経135.7293639度 / 35.0394028; 135.7293639 (鹿苑寺)
鹿苑寺(ろくおんじ)は、日本の京都市北区金閣寺町にある臨済宗相国寺派の寺院である[1]。大本山相国寺の境外塔頭で山号は北山(ほくざん)。本尊は聖観音となっており、建物の内外に金箔が貼られていることから金閣寺(きんかくじ)とも呼ばれている[2]。正式名称は北山鹿苑禅寺(ほくざんろくおんぜんじ)である[3][4]。
寺名は開基の室町幕府第3代将軍足利義満の法号「鹿苑院殿」にちなんでつけられた[5]。寺紋は五七桐[6]、義満の北山山荘をその死後に寺としたものである。舎利殿は室町時代前期の北山文化を代表する建築だったが、1950年(昭和25年)に放火により焼失し、1955年(昭和30年)に再建された。
また1994年(平成6年)にはユネスコの世界遺産(文化遺産)「古都京都の文化財」の構成資産に登録された。 鹿苑寺の一帯は、鎌倉時代の元仁元年(1225年)に藤原公経が西園寺を建立し、併せて山荘を営んでいた場所である[7]。またこれ以後も公経の子孫である西園寺家が代々領有を続けていた。西園寺家は代々朝廷と鎌倉幕府の連絡役である関東申次を務めていたが、幕府滅亡後に当主の西園寺公宗が後醍醐天皇暗殺を企てたことが発覚。公宗は処刑され、西園寺家の膨大な所領と資産は没収。西園寺は次第に修理されなくなっていった。
歴史