北小島
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「北小島」のその他の用法については「北小島 (曖昧さ回避)」をご覧ください。

北小島外交紛争のある島
北小島(上)と南小島(下)
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成
地理
所在地東シナ海
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯25度43分55秒 東経123度32分26秒 / 北緯25.73194度 東経123.54056度 / 25.73194; 123.54056
所属群島尖閣諸島
面積0.258842[1] km2 (0.099939 sq mi)
海岸線長3.5 km[2]
最高地.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul{line-height:inherit;list-style:none none;margin:0;padding-left:0}.mw-parser-output .plainlist--only-child>ol li,.mw-parser-output .plainlist--only-child>ul li{margin-bottom:0}

125[1] m (410 ft)

実効支配

 日本
大字沖縄県石垣市登野城尖閣

領有権主張

 日本
大字沖縄県石垣市登野城尖閣


 中華民国
台湾省宜蘭県頭城鎮大渓里


 中華人民共和国
台湾省宜蘭県[注 1]

人口統計
人口0人(無人島) (2020年11月現在)
尖閣諸島の位置図(左上は拡大図)
1.魚釣島 2.大正島 3.久場島 4.北小島 5.南小島 6.沖の北岩 7.沖の南岩 8.飛瀬左から魚釣島、北小島、南小島

北小島(きたこじま)は、尖閣諸島無人島のひとつ。日本国実効支配し、中華人民共和国中華民国が領有権を主張している。日本の行政区分では沖縄県石垣市に属する。
概要

尖閣諸島の主島である魚釣島の東南東方に位置する無人島。石垣島の北西約166キロメートル、西表島の北方約160キロメートルに位置する[1]。四隅が張り出した矩形の島で周囲はサンゴ礁海岸となっており[1]、「イソナの瀬戸」という水道を隔てて南小島と対を成している。面積は0.258842平方キロメートル(石垣市土地台帳の数値)[1]。最高点の標高は125メートル[1]

日本の行政区分では沖縄県石垣市登野城尖閣2391番地にあたる[1][3]

上陸するためには日本政府の許可が必要である。日本領有し実効支配しているが、中華人民共和国及び中華民国も領有権を主張している。

私有地であって、2002年から日本政府が年150万円で賃借していたが、2012年9月11日日本政府魚釣島南小島とともに3島を埼玉県に所在する地権者から20億5千万円で購入し、日本国への所有権移転登記を完了した[4][5]

1996年に日本の政治団体によって簡易な灯台が設置されたが[6]、同年中に損壊している[7]

2002年に、絶滅危惧種であるアホウドリの繁殖が確認されている[8]

2012年1月16日、日本政府は排他的経済水域(EEZ)の基点となるにもかかわらず名称が不明であった離島について、地元自治体などに呼称を照会した上で、同年3月末までに命名する方針を示し[9]、3月2日に名称が決定した[10]

これには尖閣諸島付近の4島が含まれるが、そのうち、久場島付近にある1島、及び、大正島付近にある1島がともに北小島と名付けられ[10]、尖閣諸島内には計3つの北小島が存在することになった。魚釣島から見て、魚釣島付近の北小島(本項の北小島)は東南東約3キロメートル、久場島付近の北小島は北東約30キロメートル、大正島付近の北小島は東北東約110キロメートルにそれぞれ位置する。
歴史

1895年1月14日 - 日本領に編入される。

1896年 -
古賀辰四郎が政府から魚釣島久場島、北小島、南小島の30年間無償貸与を受ける(なお、無償貸与期間終了後も、有償で貸与が続けられた)。

1932年7月15日 - 北小島、南小島が古賀善次(辰四郎の子)に有償で払い下げられる(同年、魚釣島、久場島も有償で払い下げられている)。

1946年2月2日 - 北緯30度以南がアメリカ軍の軍政下に置かれる。

1952年4月28日 - サンフランシスコ平和条約の発効により、琉球政府の施政下に入る。

1970年7月 - 琉球政府が尖閣諸島の魚釣島、久場島、大正島、北小島、南小島に不法入域防止のための警告板を設置した[11]

1972年5月15日 - 本土復帰

1996年 - 右翼団体日本青年社灯台を建設するが、同年中に損壊した[7]

2012年9月11日 - 日本政府は北小島、魚釣島南小島の3島を埼玉県に所在する地権者から20億5千万円で購入し、日本国への所有権移転登記を完了した[4][5]

脚注[脚注の使い方]
注釈^ ただし中華人民共和国の主張としては、当該地域は中華民国(中華人民共和国に属する台湾省)が実効支配している地域であり、行政権は中華人民共和国の直轄ではなく、中華人民共和国に属する「台湾省」に存在するとしている。詳しくは台湾省 (中華人民共和国)を参照。

出典^ a b c d e f g 『石垣市の宝 尖閣諸島』(PDF)石垣市、2015年3月1日。


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