北大路欣也
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きたおおじ きんや
北大路 欣也
『映画情報』1964年10月号(国際情報社)より
本名.mw-parser-output ruby.large{font-size:250%}.mw-parser-output ruby.large>rt,.mw-parser-output ruby.large>rtc{font-size:.3em}.mw-parser-output ruby>rt,.mw-parser-output ruby>rtc{font-feature-settings:"ruby"1}.mw-parser-output ruby.yomigana>rt{font-feature-settings:"ruby"0}淺井(あさい) 将勝(まさかつ)
生年月日 (1943-02-23) 1943年2月23日(81歳)
出生地 日本京都府京都市北区紫竹
身長174 cm
血液型A型
職業俳優声優
ジャンル映画テレビドラマ演劇
活動期間1956年5月3日 -
活動内容1956年:『父子鷹
1962年:『源九郎義経
1963年:『海軍
1965年:『徳川家康
1968年:『竜馬がゆく
1973年:『仁義なき戦い 広島死闘篇
1976年:『アラスカ物語
1977年:『八甲田山
1984年:『空海
1985年:『火まつり
1991年:『銭形平次
2007年紫綬褒章
2012年:『剣客商売
2015年旭日小綬章
2016年:『三屋清左衛門残日録
2023年文化功労者
配偶者既婚
著名な家族市川右太衛門(父)
事務所ホリプロ・ブッキング・エージェンシー
公式サイトプロフィール
主な作品
映画
父子鷹
旗本退屈男シリーズ
若君と次男坊
海軍
源九郎義経
徳川家康
新撰組
戦争と人間
仁義なき戦い 広島死闘篇
仁義なき戦い 完結篇
資金源強奪
スリランカの愛と別れ
アラスカ物語
八甲田山
犬笛
空海
火まつり
春の鐘
動天
桜田門外ノ変
七つの会議』テレビドラマ
竜馬がゆく
地獄の辰捕物控
新宿警察
検事 霧島三郎シリーズ
暁に斬る!
男なら!
風雲 柳生武芸帳
独眼竜政宗
江戸川乱歩の美女シリーズ
ご存知!旗本退屈男
子連れ狼
事件』シリーズ
忠臣蔵
隠密奉行朝比奈
北条時宗
さすらい署長風間昭平
名奉行! 大岡越前
華麗なる一族
落日燃ゆ
江?姫たちの戦国?
剣客商売
半沢直樹
三匹のおっさん
三屋清左衛門残日録
記憶捜査?新宿東署事件ファイル?

 受賞
日本アカデミー賞
優秀主演男優賞
1978年アラスカ物語』『八甲田山
1985年空海
1986年火まつり
春の鐘』『夢千代日記
その他の賞
キネマ旬報賞
主演男優賞
1985年火まつり』『春の鐘毎日映画コンクール
男優主演賞
1985年火まつり』『春の鐘報知映画賞
最優秀主演男優賞
1985年火まつり』『春の鐘エランドール賞
新人賞
1963年芸術選奨新人賞
演劇部門
1974年ギャラクシー賞
選奨
1977年青春の門菊田一夫演劇賞
演劇賞
2002年『佐渡島他吉の生涯』紫綬褒章
2007年旭日小綬章
2015年 文化功労者
2023年

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北大路 欣也(きたおおじ きんや、本名:淺井 将勝(あさい まさかつ)[1]1943年昭和18年〉2月23日[2][1] ‐ )は、日本俳優[3]声優

京都府京都市紫竹出身[2][1]身長174cm血液型A型[3]事務所ホリプロ・ブッキング・エージェンシー所属[2]

父は戦前の時代劇から戦後の東映時代劇全盛時代の映画俳優・市川右太衛門。芸名の由来は右太衛門の邸宅が京都市内の北大路に在ったことから、右太衛門が「北大路の御大」と呼ばれていたため。同世代の俳優仲間からは「きんやちゃん」と呼ばれている。
略歴
生い立ち『花笠ふたり若衆』(1961年)。松方弘樹と共演。『若君と次男坊』(1961年)。松方弘樹と共演。

映画俳優・市川右太衛門の次男として生誕。京都市立紫竹小学校同志社香里中学校から暁星中学校に編入。暁星高等学校を卒業後、早稲田大学第二文学部演劇専修卒業。学位は文学士

1956年昭和31年)、映画『父子鷹』で勝海舟の少年時代役を演じ、右太衛門に付き添われてデビューを果たす。

同じ東映の二世スターで同級生の松方弘樹近衛十四郎の長男)とライバル視された。ライバルの松方は「東映城の暴れん坊」と売り出されたのに対し、北大路は「東映城のプリンス」と売り出された[4]

右太衛門は東映の役員も兼務していたことから[5]、御曹司として右太衛門の庇護のもと順調にキャリアを重ねていき[5][6]1958年(昭和33年)に映画『少年三国志』で15歳にして映画初主演を果たした。1961年(昭和36年)、岡田茂東映京都撮影所所長の企画[7]『葵の暴れん坊』で、第一回主演[7][8]1963年(昭和38年)には映画『海軍』で千葉真一の配役と入れ換えを求め、現代劇初主演を果たした[6]

10代の頃は俳優を職業にする気はなく、出なさいと言われていたから出ていただけであると語っている。自身の母校である早稲田大学には、兄が理工学部に通っていたことから雰囲気の良さを感じていた。そして、自身も早稲田大学第二文学部演劇科に入学した[9]
大学卒業後

大学卒業後、1964年昭和39年)に『シラノ・ド・ベルジュラック』で舞台デビュー、その後は劇団四季にたびたび客員参加した。

1968年(昭和43年)、25歳で大河ドラマ竜馬がゆく』で主演。その後も大河ドラマには、『独眼竜政宗』や『北条時宗』など多数出演する。

1973年(昭和48年)、映画仁義なき戦い』を仕事先で観て共鳴した北大路は、シリーズ化されることを聞きつけ東映へ直訴して、第二部『仁義なき戦い 広島死闘篇』の出演が決まる[10]


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