北大西洋条約
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北大西洋条約

通称・略称NATO条約
署名1949年4月4日
署名場所ワシントンD.C.
( アメリカ合衆国)
発効1949年8月24日 (74年前) (1949-08-24)
締約国(原加盟国)
アメリカ合衆国
 カナダ
 ノルウェー
 デンマーク
 イタリア
 ポルトガル
 アイスランド
 ベルギー
 オランダ
 ルクセンブルク
 イギリス
 フランス
当事国アメリカ合衆国と西側諸国
寄託者アメリカ合衆国連邦政府
言語フランス語英語
主な内容

加盟国間の集団防衛集団安全保障体制構築

加盟国間の集団的自衛権発動

北大西洋条約機構(NATO)結成

関連条約ブリュッセル条約 (1948年)
条文リンクThe North Atlantic Treaty (English) - NATO
北大西洋条約(日本語) - データベース「世界と日本」
ウィキソース原文
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北大西洋条約(きたたいせいようじょうやく、North Atlantic Treaty)は、北大西洋地域における集団防衛集団安全保障に関する軍事同盟構築のための条約である。1949年4月4日アメリカ合衆国ワシントンD.C.で署名された。署名地からワシントン条約と呼ばれることもある[注釈 1]。条約の根幹は、いずれの加盟国に対する攻撃も全加盟国に対する攻撃とみなし集団的自衛権を発動することによって集団防衛体制を構築し、加盟国外からの攻撃を抑止することにある。本条約に基づいて、軍事同盟「北大西洋条約機構」(NATO)が結成された。.mw-parser-output .toclimit-2 .toclevel-1 ul,.mw-parser-output .toclimit-3 .toclevel-2 ul,.mw-parser-output .toclimit-4 .toclevel-3 ul,.mw-parser-output .toclimit-5 .toclevel-4 ul,.mw-parser-output .toclimit-6 .toclevel-5 ul,.mw-parser-output .toclimit-7 .toclevel-6 ul{display:none}
概要

第二次世界大戦の終結後、1948年に東ドイツ西ドイツ仮想敵国としたブリュッセル条約ベネルクス3国、イギリスフランスの間で締結されていた。1949年4月、冷戦下で力を増したソビエト連邦の軍事的脅威に対抗するため、アメリカの外交官セオドア・カーター・アキレス(英語版)を委員長とする委員会によって、この5か国にアメリカ合衆国カナダノルウェーデンマークイタリアポルトガルアイスランドを加えた12か国の間で本条約が締結された。

条約締結前の1948年3月22日から4月1日にかけて、ペンタゴンで秘密会談が行われた。アキレスは次のように述べている。.mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}会談は約2週間続き、それが終わる頃には条約を締結することが暗黙に合意されていた。私は金庫の一番下の引き出しに条約の草案を入れていた。それは、ジャック(ジョン・デューイ・ヒッカーソン)以外には見せていなかった。私はそれを保管しておきたかったが、1950年に国防総省を去る時に、律義に金庫に入れたままにしたため、公文書館でそれを見ることはできない。それは、リオ条約と、まだ署名されていなかったが草案が提供されていたブリュッセル条約をわずかに参考にしている。最終的な北大西洋条約は、全体的な形式と多くの文言が私の最初の草案を保っていたが、いくつかの点で重要な相違があった[1]

アキレスによれば、この条約の条文のもう一人の重要な執筆者はジョン・デューイ・ヒッカーソンだった。この条約の性質、内容、形式に関して、ジャックは誰よりも責任を負っていた。これはヒッカーソン一人の条約だった[1]

北大西洋条約は、第二次世界大戦末期に過剰拡張を避け、その結果としてヨーロッパに多国間主義をもたらしたアメリカの願望によって生まれたものであり[2]、長く慎重なプロセスの末にアメリカが西ヨーロッパの列強と結んだ集団防衛体制である[3]

1955年に西ドイツがNATOに加盟した。東側諸国はこれに脅威を感じ、ワルシャワ条約を締結しワルシャワ条約機構を結成した。フランスは1966年から2009年まで軍事部門から脱退していた。

この条約は、ソ連による西ヨーロッパへの武力攻撃を想定して締結されたが、相互自衛権条項が冷戦下において発動されることはなく、それが初めて発動されたのは2001年10月、アメリカ同時多発テロ事件に対するイーグルアシスト作戦においてだった。条約の締結当初は共産主義陣営(東側)に対するものであったが、ソビエト連邦の崩壊後に東欧諸国も加盟し、幅広い集団防衛条約となっている。
加盟国
原加盟国現在のNATO加盟国NATO加盟国の変遷

北大西洋条約の原加盟国は以下の12か国である。これらの国の全権代表が、1949年4月4日にワシントンD.C.にて条約に署名した[4][5]

 ベルギー - 首相兼外務大臣ポール=アンリ・スパーク、駐米大使ロベール・シルヴェルクリュイ(ドイツ語版)

 カナダ - 外務大臣レスター・B・ピアソン、駐米大使H・H・ロング

 デンマーク - 外務大臣グスタフ・ラスムセン(英語版)、駐米大使ヘンリク・カウフマン(英語版)

フランス - 外務大臣ロベール・シューマン、駐米大使アンリ・ボネ(英語版)

 アイスランド - 外務大臣ビャルニ・ベネディクトソン、駐米大使Thor Thors

 イタリア - 外務大臣カルロ・スフォルツァ(英語版)、駐米大使アルベルト・タチアーニ(英語版)

 ルクセンブルク - 外務大臣ジョゼフ・ベッシュ、駐米大使Hugues Le Gallais

 オランダ - 外務大臣ディルク・スティッカー(英語版)、駐米大使エルコ・ファン・クレフェンス(英語版)

 ノルウェー - 外務大臣ハルワルド・ラング(英語版)、駐米大使Wilhelm von Munthe af Morgenstierne

ポルトガル - 外務大臣ジョゼ・カイエロ・ダ・マッタ(英語版)、駐米大使ペドロ・テオトニオ・ペレイラ(英語版)

 イギリス - 外務大臣アーネスト・ベヴィン、駐米大使オリヴァー・フランクス


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