株式会社北國銀行
The Hokkoku Bank, Ltd.
金沢駅金沢港口(西口)前にある本店
種類株式会社
機関設計監査役会設置会社[1]
市場情報東証1部 8363
北國銀行のデータ
法人番号8220001007709
店舗数108店
(国内本支店・出張所・海外駐在員事務所)
貸出金残高2兆6,339億円
預金残高4兆520億円
特記事項:
(2021年3月31日現在)
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株式会社北國銀行(ほっこくぎんこう、英: The Hokkoku Bank, Ltd.)は、石川県金沢市に本店を置く地方銀行。
キャッチコピーは、以前は『やってく!ほっこく!』が採用されていたが、現在は展開していない。 1943年3月、第二次世界大戦の戦況悪化に伴い石川県下の加能合同銀行、加州銀行、能和銀行に対し大蔵省、石川県、日本銀行などから合併の勧奨または斡旋をする旨の働きかけが行われた。同年7月に三社による合併の調印、同年12月12日北國銀行の設立総会が行われた。本店は加能合同銀行に置き、加州銀行本店は金沢支店となった。発足当初の店舗数は石川県内に16、大阪市内に1という体制であった[3]。さらに翌1944年には、日本銀行の斡旋により石川貯蓄銀行を吸収合併した[4]。 2001年に石川銀行が経営破綻してからは、石川県内に本店を置く唯一の地方銀行である。現在、県および金沢市をはじめとする県内の各自治体の指定金融機関を受託している。2014年11月25日、本店を金沢市広岡(金沢駅西口)へ新築移転し[5][6]、金沢中央支店を本店営業部へブランチインブランチ化した[7]。旧本店跡地は売却され、ホテルとマンションが建設される[8][9]。 店舗には、明治および大正時代に建築された武蔵ヶ辻支店やレンガ造りの倉庫をリノベーションした犀川中央支店などが現役の営業店として活用されている。
概要
沿革
1943年
12月12日[10] - 加能合同、加州、能和の三行合併により北國銀行創立総会開催[11][注 1]。7代目米谷半平(加能合同銀行頭取)が初代頭取、泊宗一(能和銀行頭取)が取締役会長に就任。
12月18日 - 北國銀行創立。
1946年12月21日 - 米谷半平頭取逝去[12]。
1947年2月18日 - 石橋義雄が第2代頭取に就任[12]。
1958年3月 - 本店完成。
1961年
1月26日 - 本陣甚一(旧・加能合同銀行支配人)が第3代頭取に就任。石橋義雄前頭取は取締役会長、泊宗一前会長は取締役に就任[12]。
1月27日 - 泊宗一取締役退任[12]。
1966年7月26日 - 石橋義雄会長退任、本陣甚一頭取が代表取締役会長を兼務[12]。
1968年11月6日 - 中井正一が第4代頭取に就任[12]。
1973年4月 - 東証・大証各2部に上場[11]。
1974年2月 - 東証・大証各1部に指定替え[11]。
1976年12月23日 - 本陣甚一前会長は常任相談役に就任[12]。
1978年
2月 - 全店オンラインシステム完成[11]。
12月22日 - 8代目米谷半平が第5代頭取に就任。中井正一前頭取は代表権のない取締役会長に就任[12]。
1983年11月 - 新電算機センター完成[11]。
1984年6月 - 中井正一取締役会長退任、顧問に就任。
1990年6月28日 - 本陣靖司が第6代頭取に就任。米谷半平前頭取は代表取締役会長に就任。
1992年4月1日 - CI導入[11]、ロゴマークが現行のものに改定[13]。
1997年
10月8日 - 北國銀行背任事件で当時の頭取と石川県信用保証協会幹部が逮捕される[注 2]。
10月27日 - 米谷半平代表取締役会長が第7代頭取を兼務。
1998年12月1日 - 深山彬が第8代頭取に就任。
2000年12月 - 基幹システムを日本IBMへアウトソーシング。
2005年
4月 - 証券仲介業務を開始[11]。