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北 公次
本名松下 公次(まつした こうじ)
別名義コーちゃん
生年月日 (1949-01-20) 1949年1月20日
没年月日 (2012-02-22) 2012年2月22日(63歳没)
出生地 日本・和歌山県田辺市
死没地 日本・東京都
職業歌手、俳優、タレント
ジャンルテレビドラマ、映画、舞台、バラエティ番組
活動期間1966年 - 2012年
活動内容1966年:ジャニーズの付き人として活動開始
同年:フォーリーブス結成に参加
1968年:「オリビアの調べ」で歌手デビュー
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北 公次(きた こうじ、1949年〈昭和24年〉1月20日 - 2012年〈平成24年〉2月22日)は、日本の歌手、俳優、タレント。男性アイドルグループ・フォーリーブスのリーダー。和歌山県田辺市出身。本名:松下 公次(まつした こうじ)。 ジャニーズ事務所→第一プロダクション→(有)沢竜二事務所→データハウス→エフエンタープライズ→OFFICE-REN(エフエンタープライズと掛け持ちで所属) 「清定(せいてい)菓子株式会社」の社長の次男として生まれる。他にも工場などを経営していたが、北が小学校2年生の時に父の会社が倒産。一気に貧乏暮らしとなり、母もボタン工場にパートに出なければならなくなった。 和歌山県田辺市立東陽中学校時代は体操で学内随一の才能と見込まれ、地域では将来のオリンピック選手と期待された。また、水泳も得意とし、3年時に県大会・中学生の部で優勝[1]するなど幼少より優れた運動能力の持ち主であったが、家庭の厳しい経済事情から同中学卒業後は直ぐに名古屋の玩具問屋へと集団就職。その後は兄を頼って大阪へ移り、寿司店の住みこみ店員や鉄工場の住みこみ工員など職を転々とする。家電メーカーの工場に勤めていたある日、休憩時間に工場の食堂にあるテレビで初めてジャニーズを視て「俺なら得意のアクロバットを駆使してもっともっと人気スターになれる」と確信し、きっかけを求めジャズ喫茶を彷徨い歩く。そして、当時大阪にあったジャズ喫茶「ナンバ一番」にてスリーファンキーズのステージを鑑賞した際に北は、自ら頼み込んでスリーファンキーズのバックバンド「ワゴンスターズ」のバンドボーイにしてもらい、その後バンドが帰京するため1964年の暮れに新幹線で上京する。 翌1965年の正月、日劇ウエスタンカーニバルでスリーファンキーズのショーの合間にやっていた映画をステージの裾で一人観ていた際にジャニーズ事務所の社長・ジャニー喜多川に見初められ「君、ジャニーズが好きなの?それじゃあジャニーズに会わせてあげるよ!」と楽屋へ誘われ、ジャニーズの付き人になることを快諾、その日より四谷三丁目のお茶漬け屋の2階にあったジャニー喜多川の自宅兼合宿所で住み込みを始める。その後まもなくして渋谷区神宮前2-21-21の御子柴ビルに転居。なお、お茶漬け屋が入る前のテナントは、メリー喜多川が経営していたカウンターバー「スポット」であった。
所属事務所
人物・来歴