北京駅
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北京駅
駅全景(2021年)
ペキン
Beijing


所在地北京市東城区東便門
所属事業者中国国家鉄路集団(CR・駅詳細
北京市地鉄運営(北京地下鉄・駅詳細
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北京駅
各種表記
繁体字:北京站
簡体字:北京站
?音:B?ij?ng Zhan
発音:ペイジン ジャン
英文:Beijing Railway Station
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北京駅(ペキンえき)は、中華人民共和国北京市東城区にある、中国国家鉄路集団(CR)の北京鉄路局管轄の特等駅である。

本項では、近接する北京地下鉄の北京駅駅(ペキンえきえき)についても記述する。
乗り入れ路線北京駅と地下鉄入口(2003年)

中国鉄路総公司の駅に乗り入れている路線は、線路名称上は京滬線京哈線北京地下直径線の3路線が乗り入れており、いずれも当駅が起点である。中国各地方面の列車の他、モスクワヤロスラフスキー駅行きK3/4次列車及びボストーク号ウランバートル駅行きK23/24次列車平壌駅行きK27/28次列車といった国際列車も発着している。

中国鉄路総公司の駅舎の北側にある駅前道路の地下に北京地下鉄2号線の「北京駅」が位置している。駅番号は「210」。
歴史

詳細は「京奉鉄道正陽門東駅(中国語版)」を参照旧北京駅(正陽門駅)(2005年5月)

元は正陽門甕城の東側にあり、「京奉鉄道正陽門東駅」(京奉?路正????站)として1901年開業。国民党政権が首都を南京とした時期には北京自体が北平と改名されたため「北平駅」(北平站)などとも呼ばれていたが1949年9月30日に北京駅と改称した。1959年の北京駅1959年9月完成時の北京駅夜景北京駅完成時1959年、衛星型0001号機関車が北京駅を出発した様子2012年4月、電化工事の完了した北京駅2008年8月,英語駅名を加えた北京駅
移転計画

1958年、中華人民共和国の建国十周年を迎えるにあたり、中国共産党中央委員会北京十大建築の10棟の1つとして新しい北京駅の建設を決定した。建設地は正陽門の東3kmの地点が選定された。1958年10月下旬に当時の著名な建築家である楊廷宝(中国語版)や?登?、国家建工部第一建築設計院、南京工学院の合同チームで設計を開始した。同年12月上旬には基本設計が完了し中央委員会で承認された。当時の国務院総理であった周恩来も新北京駅の建設に関心を持っていた[1]。周恩来は駅舎の両サイドに角楼(中国語版)を加えるよう指示した[2]
建設

1959年1月20日、駅の建設が開始された。ソ連の技術者の指導の下、土工は最も多いときに2万人余りが投入され、建設費用は5782万を投入して建設された。7ヵ月後の同年9月10日に工事が終了。完成当時の駅の占地総面積は250000平方メートル、その内駅舎面積は46700平方メートル、広場面積は40000平方メートルあり当時中国最大規模の駅であった。

同年9月13日?9月14日|14日の北京駅営業開始前に、当時の中国国家主席劉少奇国務院総理周恩来、全国人民代表大会常務委員会委員長(中国語版)朱徳らが視察した[3]。9月15日0時10分?2時20分の間、中共中央主席毛沢東は当時の北京市市長の彭真鉄道部部長の呂正操と副部長武竟天を連れて視察した。毛沢東は切符売り場に行き、窓口の販売員に販売の状況を尋ねてから普蘭店方面の129次列車切符を入手した[4]。その後、毛沢東は書道にて「北京站」の3文字を書いた[2]。毛沢東の新北京駅の視察を終え一番列車に乗り込んで出発した後、北京駅は正式に開業した。同時に旧北京駅(正陽門東駅(中国語版))は廃止となった。同年10月4日には当時の中共中央書記虚総書記(中国語版)のケ小平が新北京駅を視察した[5]
開業初期

新北京駅の開業によって、以前の正陽門東駅時代に比べ輸送力が大幅に向上し、北京市内ではもちろん、中国国内でも利用客の多い鉄道駅となった。利用客数は1950年代末期では毎年600万人、1960年代末期で800万人、1970年代末期で1500万人、改革開放後には年間3000万人以上に膨れ上がった[2]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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