北九州市ルネッサンス構想(きたきゅうしゅうしルネッサンスこうそう)は、福岡県北九州市が市制施行および政令指定都市移行25周年を迎えた1988年(昭和63年)に策定した都市計画。1987年(昭和62年)に3代目市長に就任した末吉興一が中心となり、翌年12月に策定。2006年(平成18年)を最終目標とした(部門別計画の目標年次)。「水辺と緑とふれあいの“国際テクノロジー都市”へ」を基調テーマとした都市再生計画である。
磯村英一東京都立大学教授(当時)の「多核都市論」に基き、旧5市の均衡発展を目指してきた従前の政策から、当構想により小倉駅(.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度53分12.3秒 東経130度52分57.6秒 / 北緯33.886750度 東経130.882667度 / 33.886750; 130.882667 (小倉駅)
)を中心とした小倉都心(小倉北区)と、黒崎駅(北緯33度52分0.6秒 東経130度45分58秒 / 北緯33.866833度 東経130.76611度 / 33.866833; 130.76611 (黒崎駅))を中心とした黒崎副都心(八幡西区)の両極を中心とした「集中型都市」へと大規模に政策転換したことで知られる[1]。全ての座標を示した地図 - OSM1963年(昭和38年)に小倉市(北緯33度53分7.8秒 東経130度52分33.6秒 / 北緯33.885500度 東経130.876000度 / 33.885500; 130.876000 (小倉市役所)
)、門司市(北緯33度56分28.4秒 東経130度57分34.3秒 / 北緯33.941222度 東経130.959528度 / 33.941222; 130.959528 (門司市役所))、戸畑市(北緯33度53分40.5秒 東経130度49分45.8秒 / 北緯33.894583度 東経130.829389度 / 33.894583; 130.829389 (戸畑市役所))、八幡市(北緯33度51分48.4秒 東経130度48分42.7秒 / 北緯33.863444度 東経130.811861度 / 33.863444; 130.811861 (八幡市役所))、若松市(北緯33度54分17.9秒 東経130度48分40.7秒 / 北緯33.904972度 東経130.811306度 / 33.904972; 130.811306 (若松市役所))の5市が合併して北九州市が誕生した。しかし1960年代以降の石炭から石油へのエネルギーの転換による筑豊炭田閉山の影響や、八幡製鐵所などを中心とした重工業の停滞に対して、産業構造の転換が遅れていた。そのため1986年(昭和61年)当時、重工業は円高不況による構造不況業種といわれ、北九州市の経済は沈滞していた。旧5市の人口比も合併後に変化し、人口が増加している小倉区と八幡区(両区は1974年に各々分区)に対して、門司区・戸畑区・若松区は人口が減少するという二極化が進んでいた。
合併前の人口比
1960年国勢調査[2]
五市合計:986,401人.mw-parser-output .legend{page-break-inside:avoid;break-inside:avoid-column}.mw-parser-output .legend-color{display:inline-block;min-width:1.5em;height:1.5em;margin:1px 0;text-align:center;border:1px solid black;background-color:transparent;color:black}.mw-parser-output .legend-text{} 門司市:152,081人 (15.4%) 若松市:106,975人 (10.8%) 戸畑市:108,708人 (11.0%) 小倉市:286,474人 (29.0%) 八幡市:332,163人 (33.8%)
1985年の人口比
1985年国勢調査[3]
北九州市:1,056,402人 門司区:136,011人 (12.9%) 若松区:90,519人 (8.6%) 戸畑区:75,923人 (7.2%) 小倉北区+小倉南区:403,385人 (38.2%) 八幡東区+八幡西区:350,564人 (33.2%)
直近の人口比
2023年1月1日推計人口
北九州市:922,762人 門司区:90,892人 (9.8%) 若松区:78,948人 (8.6%) 戸畑区:56,212人 (6.1%) 小倉北区+小倉南区:387,458人 (42%) 八幡東区+八幡西区:309,252人 (33.5%)
これらを基に、鉄道・空港・海運等のインフラ整備、環境重視政策、商業復興のための施設建設、大学等の教育・研究施設の誘致、高齢者や障害者等の福祉などの政策を打ち出した。 平成元年度 - 平成5年度(1989年 - 1994年)。ルネッサンス構想の最初の具体的実施計画。21世紀を目指した街づくりの基礎計画。 これらを中心として、高齢者福祉、国際化、学術研究等の政策を策定した。 平成6年度 - 平成10年度(1994年 - 1999年)。活気に満ち、市民が実生活で豊かさを実感できる街づくり。 平成11年度 - 平成15年度(1999年 - 2004年)。北九州市を「再生」から「浮揚」へと導き、「21世紀都市北九州―北九州新時代」を築くための指針づくり。
目指す5つの都市像
緑とウォーターフロントを生かした快適居住都市
健康で生きがいを感じる福祉・文化都市
あすの産業をはぐくむ国際技術情報都市
海にひろがるにぎわいの交流都市
未来をひらくアジアの学術・研究都市
各計画時期後毎の実施計画
第一次実施計画
経済の活性化
北九州テクノセンターの建設、企業誘致の用地整備など
交通体系の整備
新・北九州空港の事業決定
旧・北九州空港の定期便再開(1993年に羽田空港⇔旧・北九州空港便就航)
都心・副都心機能の充実、地域の核づくり
小倉駅前再開発(1993年10月10日、セントシティ北九州に小倉そごうが開業)
紫川マイタウン・マイリバー整備(後述)
東田地区の整備 - スペースワールドの開業
門司港レトロ整備事業
イベント、コンベンションの誘致・開発
北九州国際会議場のオープン
わっしょい百万夏まつり、北九州国際音楽祭の開催
第二次実施計画
高齢化社会への対応
市全体を市・区・地域ごとに分け、地域住民、団体、医師会、ボランティアと連携しながら高齢者・障害者・子供を支援。「北九州方式」と呼ばれる。
生活環境の整備
環境への配慮 - ゴミ指定袋制、ペットボトル分別収集、環境共生住宅の整備
地域経済活性化
アジア太平洋インポートマート (AIM) の建設、福祉用具研究開発センターの設置
将来の発展のための基礎づくり
新・北九州空港の建設、北九州学術研究都市、響灘環黄海圏ハブポート構想、東九州自動車道の「北九州四大プロジェクト」の契機。北九州モノレールの小倉駅乗り入れを打ち出す。
第三次実施計画
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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