北久保弘之
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きたくぼ ひろゆき
北久保 弘之
別名義佐倉 大
生年月日 (1963-11-15)
1963年11月15日(60歳)
出生地 日本東京都
職業

アニメーション監督

アニメーション演出家

アニメーター

キャラクターデザイナー

ジャンルテレビアニメアニメ映画
活動期間1979年 -
主な作品
監督
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ブラックマジック M-66

老人Z

BLOOD THE LAST VAMPIRE

 受賞
文化庁メディア芸術祭
アニメーション部門大賞
2000年BLOOD THE LAST VAMPIRE毎日映画コンクール
アニメーション映画賞
1991年老人Z
大藤信郎賞
2000年BLOOD THE LAST VAMPIRE

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北久保 弘之(きたくぼ ひろゆき、1963年11月15日[1] - )は、日本の男性アニメーション監督アニメーター[2]東京都文京区出身[3]
経歴

中学卒業後、求人情報誌のアニメーターのアルバイト募集記事に応募。1979年、15歳でアニメ業界入りすると、テレビアニメ機動戦士ガンダム』で動画デビューを果たす[2][3]中村プロダクションネオメディアを経てフリーになり、1982年にフリーアニメーター集団「スタジオMIN」を設立[注 1]

1985年、21歳の時に『くりぃむレモン』シリーズの一編「POP CHASER」で監督デビュー(名義は「佐倉大」)。

1987年、OVAブラックマジック M-66』で原作者士郎正宗と共同監督を務める[4]。同年、オムニバスOVA『ロボットカーニバル』の中の一作「明治からくり文明奇譚?紅毛人襲来之巻?」を監督[5]。『PoP CHASER』の野村和史プロデューサーに企画を出してみないかと話を持ち掛けられ、発案者の一人となる[5][6]。プロデューサー的な役割を担い、大友克洋や著名なアニメーターたちを企画に引き込んだ[7]

1991年、大友克洋(原作・脚本・メカニックデザイン)、江口寿史(キャラクター原案)という豪華スタッフが揃った『老人Z』で劇場作品を初監督[2]

1997年、テレビゲーム『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』でアニメーションパートを監督。セルデジタルが融合した画期的な映像を生みだし、その高い演出力が話題を呼んだ[2]

2000年、日本のアニメのデジタル制作、2Dアニメの中で3DCGを活用する流れの発端となった『BLOOD THE LAST VAMPIRE』を監督[8][9]
エピソード

元々かなり肥満的な体形が現在では痩せている。またパーマや腰ぐらいまで伸ばした長髪など極端に髪型も変えることが多い。アニメ夜話に出演していた時点の頃は、特に痩せており、首にかかるくらいの長髪であった。近年は帽子を被って登場することが多い。アニメーターの仕事では、最高4日と8時間寝ずに作業したことがあるという[10]。2010年代は昔ほどではないが体形が再び肥満的になっている。2015年中頃以降は非公表のTVシリーズ製作参加のため、発言を自粛中とのこと。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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