北丹後地震
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北丹後地震
中郡峰山町(現・京丹後市)の被害
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地震の震央の位置を示した地図
本震
発生日1927年昭和2年)3月7日
発生時刻18時27分39.2秒 (JST)[1]
震央 日本京都府丹後半島北部
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度37.9分 東経134度55.8分 / 北緯35.6317度 東経134.9300度 / 35.6317; 134.9300座標: 北緯35度37.9分 東経134度55.8分 / 北緯35.6317度 東経134.9300度 / 35.6317; 134.9300[1]
震源の深さ18 km
規模   気象庁マグニチュード Mjma7.3/モーメントマグニチュード Mw7.0[2]
最大震度   震度6:兵庫県豊岡町(現:豊岡市)、京都府宮津町(現:宮津市)、峰山町(現:京丹後市
津波1.2-1.5m (丹後半島)[3]
地震の種類大陸プレート内地震
左横ずれ及び右横ずれ断層
被害
死傷者数死者2,925人、負傷者7,806人
出典:特に注記がない場合は気象庁による。
プロジェクト:地球科学
プロジェクト:災害
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北丹後地震(きたたんごじしん)は、1927年昭和2年)3月7日、18時27分39.2秒に発生した地震である。震源は、北緯35度37.9分、東経134度55.8分の京都府丹後半島北部。Mjma 7.3(Mw 7.0)の地震であった。兵庫県豊岡町(現・豊岡市)、京都府の宮津町(現・宮津市)、峰山町(現・京丹後市)で震度6(当時)、京都市、兵庫県洲本市、福井県福井市敦賀市、奈良県八木町(現・橿原市)、広島県松永町(現・福山市)で震度5を記録した。

北丹後地震という名称は気象庁の指定によるもので、発生当時から被災地では丹後地震(たんごじしん)、奥丹後地震(おくたんごじしん)、丹後大震災(たんごだいしんさい)、(丹後)峰山地震などとも呼ばれた[4][5][6]
各地の震度

震度4以上を観測した地点は次の通り[1]

震度都道府県観測所
6京都府宮津測候所
兵庫県豊岡
5福井県福井敦賀
京都府京都
兵庫県洲本
奈良県八木
広島県松永
4北陸伏木
甲信甲府飯田
東海岐阜名古屋亀山伊賀
近畿彦根大阪神戸和歌山
中国岡山防府
四国徳島多度津松山

当時設定されていた最大震度は6(VI:烈震)であったが、峰山・野田川・網野地区では家屋倒壊率が100%近い地域もあり[7]震度7相当と推定される場所もあった[8]
被害竹野郡網野町(現・京丹後市)の被害

北近畿を中心に中国四国地方まで被害が及んだ。なかでも被害が集中したのは、丹後半島のつけ根にあたる約15kmの範囲である。

地震被害が著しかったのは今の京丹後市峰山町、網野町与謝野町加悦町地区、同町旧岩滝町地区で、家屋倒壊率は70% - 90%に達した。小学校も被災した。また、地震発生時刻が早春の夕刻だったために、暖房や炊事の火を原因とする火災が各所で発生した。特に網野町、峰山町、与謝野町旧野田川町山田地区では大火となり、合わせて8,287戸が焼失した。最大の被災地となったのは「丹後ちりめん」で知られる峰山町であった[9]。住宅や織物工場など家屋の97%が焼失した。人口に対する死亡率は22%に達した。

この地震による被害は、広範囲に及び、震源から150km以上も離れている鳥取県米子でも2戸の倒壊家屋が出た。さらに、大阪市鶴町一帯では地割れから海水が噴出、水道管の破裂も相まって付近一帯の家屋が泥水に浸った。液状化現象が発生したと考えられる[10]。このほか、京都府木津村浜詰村では。村内各所で熱湯(出典ママ)が噴出する特異な現象が発生している[11]

被害の総計は、死者2,925人(京都府内・2,898人)、負傷者7,806人、全壊1万2,584棟、半壊9,443戸、焼失8,287戸、全焼6,459戸、半焼96戸[12]であり、大災害へと発展した。

地震直後に寒気と降雨が被災地を襲ったため、被災者は二重の苦しみを負うこととなった。救援活動は道路や鉄道が寸断されたため海軍の第九駆逐隊も出動、震災各地に救護隊を上陸させて活動した[13]

与謝郡加悦町(現・与謝郡与謝野町)の被害

与謝郡四辻村(現・与謝郡与謝野町)の被害

宮津線網野駅構内で横転した8620形蒸気機関車牽引の列車

死者・行方不明者数が多い明治以降の地震(日本・1885年以降)[14][15]順位名称発生日死者・行方不明者数(人)規模(M)
1関東地震関東大震災1923年9月1日105,3857.9
2東北地方太平洋沖地震東日本大震災2011年3月11日22,3129.0


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