北カフカーズ軍管区
[Wikipedia|▼Menu]

北カフカーズ軍管区

創設1918年5月4日
廃止2010年9月20日
所属政体 ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国
ソビエト連邦
ロシア
所属組織 ロシア連邦軍
部隊編制単位軍管区
所在地ロストフ州ロストフ・ナ・ドヌ
上級単位ロシア連邦軍
主な戦歴ロシア内戦
第二次世界大戦
アフガニスタン紛争
第一次チェチェン紛争
第二次チェチェン紛争
テンプレートを表示

北カフカーズ軍管区(きたカフカーズぐんかんく、ロシア語: Северо-кавказский военный округ、略称СКВО)は、かつて存在したソ連軍ロシア連邦軍カフカース山脈北部地域(北カフカース)における軍管区統合部隊。軍管区本部は、ロストフ・ナ・ドヌに位置する。

軍管区および保管基地には、戦車600両、戦闘装甲車両1940両、火砲755門、戦闘ヘリ70機その他の兵器が装備されている。
歴史
戦前

北カフカーズ軍管区は1918年5月4日、人民委員会議令によりスタヴロポリ県、黒海県、ダゲスタン県、ドン・コサック軍、クバン・コサック軍、テレク・コサック軍領域に設立された。同年10月3日、南部戦線革命会議令により、北カフカースの赤軍第11軍に改称された。

ロシア内戦時代、南部戦線にセミョーン・ブジョーンヌイ指揮下の第1騎兵軍が創設された。内戦後の1921年5月4日、カフカース戦線が廃止され、北カフカーズ軍管区が復活した。北カフカーズ軍管区本部はロストフ・ナ・ドヌに位置し、司令官にはクリメント・ヴォロシーロフが任命された。

1924年から1928年にかけて、北カフカーズ軍管区に軍事教育施設ネットワークが創設された。
第二次世界大戦

独ソ戦時、1941年5月-6月に北カフカーズ軍管区で編成された第19軍(軍司令官:イワン・コーネフ)が活躍した。同年6月末-7月初め、第50クバン師団(師団長:イッサ・プリーエフ大佐)と第53スタヴロポリ騎兵師団(師団長:K.メリニク准将)が編成された。7月後半、これらの部隊は西部戦線の編成下に入った。1941年11月のロストフ郊外での赤軍の反攻は、重要な政治・軍事的意義を有し、ドイツ軍が初めて敗北を喫した。同年11月29日、ロストフが解放された。

独ソ戦中、北カフカーズ軍管区は兵員養成の場として機能し、ノヴォチェルカッスクの高等騎兵課程、ロストフ、クラスノダールオルジョニキゼグロズヌイマハチカラマイコープブイナクスクの歩兵学校、アルマヴィル指揮要員完全化課程、ロストフの砲兵および軍事政治学校、クラスノダール高射砲兵学校、エイスクおよびクラスノダール軍事航空学校、クラスノダール、バタイスク、アルマヴィル、グロズヌイ、タガンログおよびナヒチェヴァン・ナ・ドヌの軍事航空学校は、現役将校を訓練した。

1942年後半から1943年前半、独ソ戦の主要舞台は北カフカーズ軍管区領域となり、スターリングラード攻防戦(1942年7月17日-1943年2月2日)とカフカースの戦い(1942年7月25日-1943年10月9日)が展開された。特に約200日間続いたスターリングラードの戦いは、第二次世界大戦の転回点ともなった。カフカーズの戦いでは、ドン川下流とクバン間のドイツ軍撃滅のために、A軍集団 (группа армий ≪А≫) が編成された。

1943年11月20日、北カフカーズ戦線と第56軍が解散され、それに基づき独立沿海軍 (Отдельная Приморская армия) が編成された。
戦後

1945年7月9日、北カフカース領域は平時編成に移り、ドン、スタヴロポリおよびクバンの3軍管区が創設された。ドン軍管区はロストフ、スターリングラードおよびアストラハン州に、スタヴロポリ軍管区はスタヴロポリ地方、グロズネンスク州、カバルダ・バルカル共和国および北オセチア共和国領域に、クバン軍管区はクラスノダール地方領域に位置した。1946年、ドン軍管区は、再び北カフカーズ軍管区に改称された。

1946年、軍管区領域にカプスチン・ヤール・ロケット演習場が建設され、1947年10月18日、最初の弾道弾発射実験が行われた。

1968年5月4日、ソ連軍創設50周年と関連して北カフカーズ軍管区に赤旗勲章が授与された。


次ページ
記事の検索
おまかせリスト
▼オプションを表示
ブックマーク登録
mixiチェック!
Twitterに投稿
オプション/リンク一覧
話題のニュース
列車運行情報
暇つぶしWikipedia

Size:19 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
担当:undef