化石燃料
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世界各地で産出された原油のサンプル

化石燃料(かせきねんりょう、: fossil fuel)は、地質時代にかけて堆積した植物などの死骸が地中に堆積し、長い年月をかけて地圧・地熱などにより変成されてできた、化石となった有機物のうち、人間の経済活動で燃料として用いられる(または今後用いられることが検討されている)ものの総称である。
概要

現在使われている主なものに、石炭石油天然ガスなどがある。また近年はメタンハイドレートや、シェールガスLPガスなどの利用も検討され始めている。上記はいずれも、かつて生物が自らの体内に蓄えた大古の炭素化合物・窒素酸化物硫黄酸化物太陽エネルギーなどを現代人が取り出して使っていると考えることができる。

これらの燃料は燃やす二酸化炭素 (CO2) 、窒素酸化物 (NOx) 、硫黄酸化物 (SO2) などを発生するが、これらが大気中に排出されることにより、地球温暖化や、大気汚染による酸性雨呼吸器疾患など深刻な環境問題を引き起こす要因になっている。また、資源埋蔵量にも限りがあるため持続可能性からも問題視されている。

これらの環境問題が発生しにくい太陽光発電風力発電地熱発電バイオ燃料バイオマス)などの再生可能エネルギー新エネルギーの研究が進められて、主に西欧諸国やブラジルなどで使われはじめている。
経緯
「化石燃料」の形成

[1][2]40億年強前の大気は主に窒素蒸気・二酸化炭素硫黄酸化物火山ガス)などで形成されていたと考えられている。その中でも二酸化炭素については、当時は今より遙かに高濃度であったと推定されている(後に大気中の概ね 0.03% 程度まで低下、現在は概ね 0.04% になっている)。プランクトン
(写真は現代のもの)

生命の起源は少なくとも35億年前以前にさかのぼると考えられている[3]。当初の生命は嫌気性生物が中心であったが、遅くとも24億年前までに光合成能力を持つシアノバクテリアが誕生し、地球環境が大きく変化した。シアノバクテリアは光合成によって太陽エネルギーを利用して大気中の二酸化炭素を同化炭素固定)し、その副産物として酸素を排出する。大気中の酸素濃度の増加は大酸化イベント(Great Oxidation Event)として地層中に記録されている。シアノバクテリアが放出する酸素の増大に従い、まず大気圏内の二酸化炭素やメタンが消費され、温室効果が消失して24億年前にはヒューロニアン氷期とよばれる最初の全球凍結期に突入したと推測されている。22億年前にこの氷期は終結するが、この時期には海中でも鉄の酸化が活発となり、縞状鉄鉱床がさかんに生成された。この時期の酸素濃度はまだ現代と比べると低く(~1%)、新原生代(10-5億年前)になるまでこの傾向は続いた。19億年前までには真核生物が誕生した可能性があるが[4]、真核生物が基礎生産の担い手として台頭するのは酸素濃度が現代とほぼ同程度になるエディアカラ紀以降のことであると考えられている[5][6]。大気中の酸素の増加により嫌気性生物は海中深くなど特殊な環境を除いて大量に絶滅し、かわって酸素を利用する生物(好気性生物)が主流となった。また大気中の酸素は紫外線を遮断するオゾン層の出現をもたらし、生物の陸上への進出と発展をもたらした[7]

陸上に進出した樹木などの生物の死骸は堆積・加圧等され、石炭が形成された。特に古生代後半の石炭紀には陸上に大量の大型シダ植物が生い茂り、それが化石化することで大量の石炭が形成され[8]、時代区分の名にまでなった。次いで、中生代末期の白亜紀には温暖な気候により海洋の生物量が増大し、同様の経過をたどって石油が形成された[9]。ただしその後も石炭や石油の形成は続いており、石炭は第三紀までは盛んに生成された[10]。日本に埋蔵されている石油も古第三紀に生み出されたものが主であり、石油はさらに新しく新第三紀の生成が主である[11]。言い換えれば、かつて大気中に存在していた炭酸ガスと太陽エネルギーが、生物の働きによって長大な時間をかけて固定され、地中深くに封じ込められたものであると言える[12]。現在でも大気中の二酸化炭素を有機化合物へと人工的に、かつ効率的に固定する方法は開発されておらず、人間、動物を含めた全ての従属栄養生物は、植物藻類、シアノバクテリア(独立栄養生物)による光合成なくしては生命をつなぐことができないが、それは食糧ばかりでなくエネルギーでも、また地球上の様々な循環の仕組みを維持する上でも同様である。
産業革命石炭

化石燃料は世界各地で古くから知られており、一部では使用もされていたが、一般的な燃料としては木やそれから作られる炭などが主であった。しかし、イギリスにおいては16世紀後半ごろから、森林破壊によって燃料となる木材が不足し、その代替として比較的浅い場所に豊富に埋蔵されていた石炭が使用され始めた。当時は一般家庭の燃料のほかガラス製造などにも使用されたが、製鉄への使用は1709年のコークス使用による製鉄の成功を待たねばならなかった[13]。イギリス国内における石炭の産出は18世紀を通じて激増していき、18世紀後半にジェームズ・ワット蒸気機関の改良を行うと、さらに拍車がかかるようになった[14]

ワットの蒸気機関は従来の動力源にくらべ非常に強力なものであり、さらに小型化が可能で比較的可搬性が高かったことから、それ以前の動力の基本であったや人力、水車風車などにかわって主な動力源となっていった[15]。蒸気機関が稼働するためには大量の燃料を燃やして蒸気を絶えず供給する必要があり、そのため石炭の需要は大きく増大した。さらに蒸気機関の普及は世界各国における産業革命をもたらし、世界中でエネルギー使用料の激増とともに石炭が大量に使用される時代が幕を開けた[16]

しかし、石炭は安かったものの燃焼効率に優れず、常温固体であるため輸送機器用の燃料としては使いにくく、また目に見えて黒い煤煙を吐くことも問題視され[17]、先進国を中心に次第に需要が薄れてゆくこととなった。しかしながら単価の安さや各地に埋蔵されていることなどもあり、今なおアメリカ合衆国中国日本途上国を中心に、発電所高炉などで使われている[18]

19世紀後半に入ると、石油の使用が増大し始める。石油利用の歴史自体は古く、それまでも東欧などで比較的浅く埋蔵されていた石油が地域住民により灯油として使われていたが、それまでの主要な照明用油だった鯨油生産が1840年代以降頭打ちとなると、その代替として石油が注目されることとなった。1846年にはロシア帝国領だったバクーにおいて地中深くから石油を掘り出す油井が造られ、これに続いて世界各地で油田が開発された。


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