化学物質(かがくぶっしつ、英: chemical substance)とは、一定の化学組成と特徴的な性質を持つ物質の一形態である[1][2]。化学物質には、単体(単一の化学元素からなる物質)[3]、化合物、または合金がある。
物理的な手段によって、より単純な構成成分に分離できない化学物質は「純粋(pure)」であると言われ[4]、この概念は混合物と区別することを意図している。純粋な化学物質の一般的な例は純水で、河川から単離されたものであっても、実験室で作られたものであっても、同じ性質を持ち、水素(H+)と酸素(O2-)の比率も同じである。純粋な形でよく目にする他の化学物質には、ダイヤモンド(炭素、C)、金(Au)、食塩(塩化ナトリウム、NaCl)、砂糖(スクロース、C12H22O11)などがある。しかし実際には、完全に純粋な物質ということはなく、化学物質の純度は、その化学物質の用途に応じて規定される。
化学物質は、固体、液体、気体、プラズマなどのさまざまな状態で存在しており、温度・圧力・時間の変化によって、これらの物質の相の間を行き来することがある。化学物質は、化学反応によって結合したり、他の物質に変換することができる。
定義さまざまな溶媒中における単一化学物質(ナイルレッド)の可視光および紫外光下での色。化学物質が溶媒環境とどのように動的に相互作用するかを示している。
一般化学の教科書には、化学物質とは「明確な化学組成を持つあらゆる物質 (en:英語版) 」と定義しているものがある[5][要ページ番号]。この定義によれば、化学物質は純粋な化学元素か、純粋な化合物かのどちらかである。しかし、この定義には例外もあり、純物質は、明確な組成と明確な特性の両方を持つ物質の一形態として定義することもできる[6]。CAS(アメリカ化学会の一部門)が公表している化学物質索引には、組成が不確かな合金もいくつか含まれている[7]。また、非化学量論的化合物は、(無機化学において)一定組成の法則に反する特殊なケースであり、水素化パラジウム(英語版)の場合のように、混合物と化合物との間に境界線を引くのが難しい場合がある。化学品(chemicals)または化学物質(chemical substances)のより広義の定義として、たとえば、米国TSCA(英語版)による『「化学物質」という用語は、特定の分子的同一性を持つ有機または無機の物質(化学反応の結果または自然界に存在するこれらの物質の全部または一部の組み合わせを含む)、および元素または結合していないラジカル。』がある[8]。 法規制上の「化学物質」の定義には、純粋な物質と、組成または製造工程が規定された混合物の両方が含まれることがある。たとえば、EUのREACH規則では、「単一成分物質」、「多成分物質」、「組成が未知または変動する物質」を定義している。後者2つは複数の化学物質から構成されているが、その同一性は、直接的な化学分析によるか、または単一の製造工程を参照して確認することができる。たとえば、木炭は非常に複雑な部分的重合型の混合物であるため、その製造工程によって定義される。したがって、正確な化学的同一性は未知であるが、同定は十分な精度で行うことができる。CAS索引は混合物も対象としている。 ポリマーはほとんどの場合、モル質量が異なる分子の混合物として現れ、それぞれが個別の化学物質とみなされる。しかし、ポリマーは、既知の前駆体または反応、およびモル質量分布 「化学物質」という概念は、化学者ジョゼフ・プルーストが塩基性炭酸銅などの純粋な化合物の組成についての研究に続き、18世紀後半に確立した[9]。彼は、「ある化合物のサンプルはすべて同じ組成を持つ。つまり、すべてのサンプルは、その化合物中に存在する元素の質量比が同じである」と推論した。現在、これは一定組成の法則(定比例の法則)として知られている[10]。その後、特に有機化学の領域で化学合成の方法が進歩し、多くの化学元素が発見され、化学物質から元素や化合物を単離・精製する分析化学の領域で新しい技術が確立されて、現代化学の確立に到ったことで、この概念はほとんどの化学の教科書で説明されているように定義されるようになった。しかし、この定義については、化学文献で報告されている多数の化学物質を索引化する必要があるという理由で、いくつかの論点がある。 異性体はまったく同じ組成を持つが、原子の配置(配列)が異なるため、初期の研究者たちは大いに驚いた。たとえば、ベンゼンの化学的同一性については、フリードリヒ・アウグスト・ケクレによって正しい構造が説明されるまで、多くの憶測があった。同様に、原子は堅固な三次元構造を持ち、そのため三次元配置のみが異なる異性体を形成できるという立体異性体という考え方も、異なる化学物質という概念を理解する上で重要な一歩となった。たとえば、酒石酸には3つの異なる異性体があり、1つのジアステレオマーが2つのエナンチオマーを形成する一対のジアステレオマーである。 化学元素(chemical element、元素)は特定の種類の原子から構成される化学物質であるため、化学反応によって分解したり、別の元素に変換することはできないが、原子核反応によって別の元素に変換することはできる。これは、ある元素のサンプルに含まれる原子はすべて同じ数の陽子を持つが、中性子の数が異なる同位体である可能性があるためである。 2019年現在、既知の元素は118種類あり、そのうち約80種類は安定元素で、放射性崩壊によって他の元素に変化することはない。元素の中には、複数の化学物質(同素体)で存在するものがある。たとえば、酸素は二原子酸素(O2)としても、オゾン(O3)としても存在する。元素の過半数は金属に分類される。金属は、鉄、銅、金など、特徴的な光沢を持つ元素である。典型的な金属は電気や熱をよく伝導し、展性や延性がある[11]。炭素、窒素、酸素など約14-21種類の元素は非金属に分類される[12]。非金属は前述のような金属的な性質は持たないが、電気陰性度が高く、陰イオンを形成する傾向がある。ケイ素のような特定の元素は、金属に似ていることもあれば、非金属に似ていることもあり、半金属元素(メタロイド)と呼ばれている。 化合物とは、特定の原子やイオンの集合から構成される化学物質である。2種類以上の元素が化学反応によって1つの物質に結合したものが化合物である。すべての化合物は物質であるが、すべての物質が化合物というわけではない。 化合物には、原子どうしが結合して分子を形成しているものと、原子、分子、またはイオンが結晶格子を形成した結晶がある。炭素原子と水素原子を主な成分とする化合物を有機化合物といい、それ以外は無機化合物という。炭素と金属の結合を含む化合物は有機金属化合物という。 各原子が電子を共有する化合物は共有結合化合物という。逆電荷を帯びたイオンどうしからなる化合物はイオン化合物または塩という。 配位錯体(はいいさくたい)は、共有結合やイオン結合がなくても、配位結合によって物質が結合している化合物である。配位錯体は、単純な混合物とは異なる、明確な性質を持つ物質である。典型的には、銅イオンなどの金属が中心にあり、アンモニア分子の窒素や水中の水分子の酸素のような非金属原子が金属中心に配位結合を形成する(例:硫酸テトラアンミン銅(II)水和物
地質学(英語版))を岩石と定義する。しかし、多くの鉱物は互いに溶け合って固溶体を形成するため、化学量論的には混合物であるが、一つの岩石は均一な物質である。長石はその代表例で、アノーソクレースはアルカリアルミニウム珪酸塩であり、アルカリ金属はナトリウムまたはカリウムのいずれかである。
法規則
日本の法令による定義
化学物質の審査及び製造等の規制に関する法律(化審法) - 元素又は化合物に化学反応を起こさせることにより得られる化合物(放射性物質を除く)をいう。
労働安全衛生法 - 元素及び化合物をいう。なお、放射性物質は含まれない。労働安全衛生法においては、通知対象物、有機溶剤、特定化学物質などのカテゴリーに分類して規制がかけられている。化学物質全般について規制がかけられているわけではない。
特定化学物質の環境への排出量の把握等及び管理の改善の促進に関する法律 (PRTR法)- 元素及び化合物(それぞれ放射性物質を除く)をいう。
歴史
化学元素天然の硫黄結晶。硫黄は元素状硫黄として、硫化物や硫酸塩鉱物として、また硫化水素として天然に存在する。詳細は「元素」を参照「元素の一覧」も参照
化合物フェリシアン化カリウムは、カリウム、鉄、炭素、窒素の化合物である。シアン化物陰イオンを含むが、それを放出することはなく、毒性を示さない。詳細は「化合物」を参照「有機化合物の一覧」および「無機化合物の一覧」も参照
有機化学では、同じ組成と分子量を持ちつつ、互いに異なる化合物が存在することがある。一般にこれらを異性体という。通常、異性体どうしの化学的性質はほぼ異なり、多くの場合、自発的な相互変換をすることなしに単離することができる。グルコースとフルクトースは、よく比較される例で、前者はアルデヒド、後者はケトンである。これらの相互変換には、酵素または酸塩基触媒のいずれかが必要である。
ただし、互変異性体は例外で、異性化は通常の条件下で自発的に起こるため、たとえ純粋な物質を分光学的に同定し、特殊な条件下で単離できたとしても、互変異性体を分離することはできない。一般的な例はグルコースで、グルコースには鎖状体と環状体がある。グルコースは自発的にヘミアセタール体に環化するため、純粋な開鎖型グルコースを製造することはできない。
物質と混合物詳細は「混合物」を参照クランベリーガラス(英語版)は均質に見えるが、実際にはガラスと直径約40 nmのコロイド状金粒子からなる混合物(mixture)であり、赤色を呈する。
すべての物質はさまざまな元素や化合物から構成されているが、それらはしばしば緊密に混ざり合っている。混合物には複数の化学物質が含まれており、その組成は一定ではない。原理的には、純粋に機械的な処理によって構成物質に分離することができる。バター、土壌、木材は混合物の一般的な例である。
灰色の金属鉄と黄色の硫黄はどちらも化学元素であり、任意の割合で混合して黄灰色の混合物を作ることができる。このとき化学的な反応は起こらず、磁石を使用して鉄を硫黄から引き離すなどの機械的な処理によって硫黄と鉄を分離できることから、この物質が混合物であると見分けることができる。
一方、鉄と硫黄を一定の割合(硫黄1原子に対して鉄1原子、または重量比で硫黄32グラム(1モル)に対して鉄56グラム(1モル))で一緒に加熱すると化学反応が起こり、化学式 FeS で表される硫化鉄(II)という化合物が新たに生成する。生じた化合物は化学物質のすべての性質を備えており、混合物ではない。硫化鉄(II)は融点や溶解度など独自の特性を持っており、2つの元素を通常の機械的な処理で分離することはできない。この化合物中には金属鉄が存在しないため、磁石で鉄を回収することはできない。
化学品と化学物質メスシリンダーとビーカーに入った化学品。詳細は「化学物質不使用(英語版)」を参照
「化学物質」(chemical substance)という用語は正確な専門用語であり、化学者にとっては「化学品」(chemical)と同義語であるが、化学品という言葉は、一般的には(純粋な)化学物質や混合物(しばしば化合物と呼ばれる)の両方を指し[13]、特に実験室や工業プロセスで製造または精製されたものに使われる[14][15][16]。言い換えれば、たとえば果物や野菜などに自然に含まれる化学物質は、一般的な用法では「化学品」とは呼ばれない。製品の成分表示を義務付けている国では、表示される「化学品」は工業的に製造された「化学物質」である。また、「化学品」という言葉は、中毒性、麻薬性、向精神性のある薬物を指す場合にもよく使用される[14][15]。