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実験(じっけん、英語: experiment)とは、発見をする、仮説を検証する、あるいは既知の事実を実証するために行われる科学的な手順[1]。未知の効果または法則を発見するため、あるいは仮説を試したり仮説を作りだしたりするため、既知の法則を説明するために、制御された条件下で実行される操作、または手順[2]。 板倉聖宣(科学史、教育学、理科教育史の専門家。1930年 - 2018年)は、実験について(抽象的ではあるが)次のように説明した。人間が対象に対して目的意識的に働きかける活動であり、対象の認識そのものを目的とした活動[3]。 また板倉聖宣は実験という活動と実験ではない活動の線引きについて次のように説明した。実験は必ずしも対象そのものに接触してこれに変化を加えるということだけを意味するものではない[4]。実験において「対象に働きかける」というのは、あらかじめ対象に対するある種の予想、本当にそうだろうかというような確認事項をもって、その対象を改めて見つめることによって、その予想の正否を確かめようとする認識活動である[4]。特別な予想も目的意識ももたないで対象を見る活動は実験ではない[4]。 そして板倉聖宣は観察と実験の関係(異なる部分と重なる部分)を次のように説明した。実験は観察(測定も含む)と共に科学の基本的な方法の一つである。 一般に観察と呼ばれているものすべてが実験である訳ではない。たとえば、「桜の花を観察しなさい」というような特別な予想も目的意識も持たずに対象を見るという働きは実験ではなく作業と呼ぶべきものである。「桜の花にはめしべが何本あるだろうか」というような具体的な予想や目的意識を持った観察は、これを実験とすることができる[4]。 また実験とは予想を持ってその予想を実物に当たって調べるという働きを総称しているのであって、望遠鏡で星を観察したり、植物を観察する活動も、歴史的事実や、社会での出来事などを知る活動も、それが予想と事実を照らし合わせようとするものである限り実験と呼ぶことができる[4](この点で人間が直接操作できない事象も実験の対象になり得る。)。つまり、予想があって初めて実験が成立する(※)。(※)たとえばガリレオ・ガリレイが落体の実験を行ったのは、アルキメデスの本で浮力の見事な数量的な研究を知り、アリストテレスの落下理論に納得がいかなくなり、実際にそれを自分で確かめなければ気が済まなくなったのである[5]。 また板倉聖宣は「実践」と「実験」の関係(違う部分、重なる部分)について次のように説明した。一般に実践と呼ばれるものは実験と違って、特に対象の認識そのものを意図して行われるものではないが、この場合でも、ある種の先入観、予想を持って対象に働きかけるなら、それは実験と変わらない効果を生む[6]。 板倉聖宣によると、かつては科学論や科学教育論では、しばしば「実験以前に予想(仮説)を持つことは、実験(観察)事実をゆがめて見てしまうから、実験以前に予想を持つべきではない」と言われたことがあった、という。しかし板倉聖宣によると、これは認識の成立過程について誤った考え方から来ている[7]のだという。
概要
実験という活動と実験ではない活動を分ける要素:「予想」と「目的意識」
実験と仮説