勝鬨橋
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この項目では、東京都中央区の橋梁について説明しています。徳島県徳島市の橋梁については「かちどき橋」をご覧ください。

勝鬨橋

基本情報
日本
所在地東京都中央区
交差物件隅田川
建設着工 1933年(昭和8年)6月
竣工 1940年(昭和15年)6月14日
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度39分43秒 東経139度46分30秒 / 北緯35.66194度 東経139.77500度 / 35.66194; 139.77500
構造諸元
形式可動部 - シカゴ型双葉跳開橋
固定部 - 鋼ソリッドリブタイドアーチ橋
材料鋼材
全長246m
幅22m
最大支間長可動部 51.6m
固定部 86.0m
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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勝鬨橋(かちどきばし)は、東京都中央区にある隅田川に架かる晴海通り東京都道304号日比谷豊洲埠頭東雲町線)が通る。
概要

日本で現存する数少ない可動橋(跳開橋)であるが[1]1980年に機械部への送電を取り止めており、可動部もロックされ、跳開することはない。

近年、再び跳開させようとの市民運動や都・一部都議の動きはあるものの、機械部等の復旧に莫大な費用(東京都の試算では約10億円)がかかることや多数の道路交通量があることから、実現の目途は立っていない[2]
歴史かちどき橋の資料館

明治期より架橋の計画は何度かあったものの実現せずにいた。1905年明治38年)1月18日、日露戦争における旅順陥落祝勝記念として有志により「勝鬨の渡し」が設置された。築地と、対岸の月島の間を結ぶ渡し舟である。埋め立てが完了した月島には石川島造船所の工場などが多く完成しており多数の交通需要があったことで、1929年昭和4年)「東京港修築計画」に伴う4度目の計画で架橋が実現した。

建設当時は隅田川を航行する船舶が多かった。このため陸運よりも水運を優先させるべく、3,000トン級の船舶が航行することを視野に入れた可動橋として設計され、跳開により大型船舶の通航を可能とした。高架橋とする案もあったが建設費が安く済むため、可動橋案が選定された。

勝鬨橋の工事は1933年に着工し、1940年6月14日に完成。1940年に「皇紀2600年」を記念して月島地区で開催予定であった日本万国博覧会へのアクセス路とする計画の一環でもあったため、格式ある形式、かつ日本の技術力を誇示できるような橋が求められた。そのため、イギリスドイツ等から技術者を導入せず、全て日本人の手で設計施工を行った。結果的に博覧会は日中戦争の激化などもあって軍部の反対により中止されたが、勝鬨橋は無事完成し「東洋一の可動橋」と呼ばれるほどの評判を得た。当初から路面電車用のレールが敷設されており、1947年から1968年まで橋上を都電が通行していた。

設置当初は1日に5回、1回につき20分程度跳開していた。この頻度はほぼ1953年頃まで続いたが、船舶通航量の減少と高度経済成長の進展で道路交通量が増大したことで次第に跳開する回数は減少し、上流に佃大橋(開閉機構を持たず桁高も両岸堤防ぎりぎり)が建設された1964年以降、船舶通航の需要は乾倉庫(現:乾汽船)にほぼ限定され、開閉回数は年間100回を下回るようになった。1967年には通航のための最後の跳開が行われた。その後は年に一度ほど試験のため跳開されていたが、航行する大型船舶がなくなったことや交通量の著しい増加などの理由で1970年11月29日を最後に開閉が停止となり、1980年には電力供給も停止された[3]。なお、開閉停止後の1975年には船舶の開閉部接触事故が発生し、午前中に一時的に開閉されたことがある[要出典]。

かつて、勝鬨橋の架替プランが検討されたことがあったが、任意団体「勝鬨橋をあげる会」の活動や、その追い風を受けた都庁内の保存派の影響力で見送られた[1]

1998年より夜間にライトアップが行われている。

橋のたもとの築地側にはかつての変電所を改装し、財団法人東京都道路整備保全公社が運営する「かちどき橋の資料館」が2005年4月に開館し、勝鬨橋に関する情報を得ることができる(開館日:火・木・金・土。入場無料)。また、定期的に橋梁設備の見学会が行われている。

2006年4月24日には、東京都が依託した土木学会の調査研究小委員会により、勝鬨橋の開閉に技術的な問題は無いとの報告が出た[4][5]

2007年6月18日都道府県の道路橋として初めて、清洲橋永代橋と共に勝鬨橋が重要文化財建造物)に指定された。

跳開部の機械設備は2017年度、日本機械学会から機械遺産に認定された。
構造・運用かちどき橋の資料館内発電ユニット

橋の両端部はアーチ橋となっており、中央部が上方に開く構造となっている。開く角度は最大70度、約70秒で全開になる。片側だけ開く操作も可能である。開閉機構を駆動する電動機は速度制御の容易な直流式を採用したが、当時は大電力の整流手段が未発達であったため、電力網から供給される3300V交流で電動機を回転させて直流発電機を駆動し、任意の電圧の直流を得るワード・レオナード方式が用いられた。モーターは、出力が125馬力で2台あり、使用状況は通常は1台ずつ、強風降雪など天候・環境の悪化した時は2台ずつで行った[2]。開閉機構の機械は中央部の橋梁内部に収められており、前述の交流電動機と直流発電機は専用の変電設備(現:かちどき 橋の資料館(wikidata))に設置されていた。

本橋の開閉部はヒンジ構造となっているため比較的揺れや振動が生じやすく[6] 、その機構や特徴ゆえに勝鬨橋はこの規模の交通量の橋としては強度が弱く、特殊車両の通行許可は40tまでに限定されている。開閉部の合わせ目は、運用当時から電動式のロックピン機構が備わり、現在もこのロックピンによって固定されているので、合わせ目に立ったとしても振動によるズレが感じられることがない。

橋の中央を通行していた東京市電の架線もまた橋の開閉に即すべく、橋脚の可動基部前後の架線には三つのヒンジのついた剛体構造の特殊な架線が使用されていた。

橋梁の歩道の上部には、4つの小屋が設けられており、それぞれ運転室、見張室、宿直室などとなっている。橋の操作は運転室で行う。

橋の可動部は、軸上に載せられた橋本体(片側だけで重量900t)と軸を挟んで乗せられているカウンターウェイト(重量1,100t)で構成されている。これを橋梁内部にある直流モーターとギアで動かすようになっている。橋が開く際は、警報サイレンの後、跳開部分と両岸アーチ部の中間にある灯火信号器が赤になり、橋上の往来を停止させていた。
事業担当企業・自治体川下から(築地大橋架設前)

事業主体 - 東京市

橋桁製作

月島側アーチ橋 - 石川島造船所

築地側アーチ橋 - 横河橋梁製作所

跳開橋 - 神戸川ア車輌

可動部

機械 - 渡辺製鋼所

電気 - 小穴製作所



下部工事


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