勝谷 誠彦
(かつや まさひこ)
生誕 (1960-12-06) 1960年12月6日
日本・兵庫県尼崎市
死没 (2018-11-28) 2018年11月28日(57歳没)
日本・兵庫県尼崎市
国籍 日本
教育早稲田大学第一文学部
職業コラムニスト
活動期間1985年 - 2018年
肩書きコラムニスト
非婚配偶者甲賀瑞穂[1]
家族勝谷友宏(弟)
公式サイト勝谷誠彦 公式Webサイト
勝谷 誠彦(かつや まさひこ、1960年〈昭和35年〉12月6日 - 2018年〈平成30年〉11月28日)は、日本のジャーナリスト、コラムニスト、コメンテーター、電波芸者。日本写真家協会会員。 兵庫県尼崎市出身。開業医(JR立花駅近くの勝谷医院)の家に生まれた。本人の日記や弟によると、上に兄がいたが亡くなっている。西宮市立の小学校を経て、尼崎市立七松小学校卒業後、灘中学校に進学[注 1][注 2]。同学校を目指して受験勉強をしていた時、3000人程度の模擬試験で100番を下回ったことはなく、一桁の順位も数回経験、試でも上位の成績で入学した[2][3]。 大学受験では、医学部志望を父に公言したため、唯一可能性のある医学部として筑波大学医学専門学群を受験したものの、不合格になる。翌年東京大学文科3類を受験するが不合格となり、早稲田大学第一文学部に合格し入学。母は東大合格を信じて疑わず、御茶ノ水駅前の一等地に学生には分不相応な家賃月額8万円のワンルーム・マンションを借りたという[4][5]。慶應義塾大学法学部にも受かったが[4]、勝手に早稲田への進学を決めてしまったため母に仕送りを打ち切られ[4][5][6]、自活せざるを得なくなる。 大学1年の5月か6月には、三尋狂人(みひろ くると)のペンネーム[4][5][7]で白夜書房に出入りし[5][7]、主に風俗関連を専門とするフリーライターとして活動し、大企業の管理職レベルの収入を得ていた[6]。編集プロダクション『ブレーメン・ファイブ』を設立した。 大学では、『早稲田おとめちっくクラブ』に所属[6]。後にそこから分立した『早稲田少女マンガ研究会』に所属した[4]。早稲田の文芸専修に進んだのは小説家志望だったためで、平岡篤頼のゼミで小説を書き、2年生で専攻の機関紙『蒼生』に小説『栗の花』が、『早稲田文学』に小説『金魚』が掲載された[4]。なお、作家の東良美季の「早稲田入学当初は、平岡篤頼先生に師事して真面目に文学を志していたんでしょう?」という質問に、「先生には申し訳ないけど、一瞬にして吹き飛びました(笑)。だってそうでしょう、19才ですよ。原稿書いてお金をもらえて、しかも風俗ライターだからキレイなオネエチャンたちともお近づきになれる。最高の商売だと思った」[5]と答えている。作家の小川洋子、森谷明子(元妻)[8][9]が第一文学部の同級生である[6][10]。小川洋子が授業中の様子を見て『いつもつまらなさそうに下を向いてた』と書いているが、それは内心『このおっさんの話し、早く終わんねーかな、次のカネになる原稿(=風俗誌原稿)が待ってるんだけどな』と思っていただけだそうである[4]。 2017年7月2日に執行された2017年兵庫県知事選挙に立候補したが[11]、現職の井戸敏三に敗れた[12]。 2018年8月21日、激しい腹痛のため病院で診察を受け、そのまま集中治療室に入院した[13]。同年9月19日、コラムを配信している公式サイトの発行人である高橋ヨロン、ネットニュース編集者の中川淳一郎、勝谷のマネージャーであるT-1の3名がネット配信動画の中で、病名が「劇症肝炎」であることを発表した[14]が実際の病名は「重症アルコール性肝炎」であった[15]。一時は回復傾向にあったが、10月下旬に再び療養生活に入り、11月28日1時48分、肝不全のため、尼崎市の病院で死去した[16]。同日公式サイトにおいて伝えられた[17]。57歳没。 早稲田大学で同級生だった元妻(森谷明子)がいた[8][9]。2017年、甲賀瑞穂が勝谷との事実婚を公表した[1] 。 朝日新聞研究、立ち飲み、日本酒、株式投資、フィリピン、タイ王国、ボクシング、カメラ、地学研究(火山、地震、地質に詳しかった)、軍事、阪神タイガース、小池徹平、米倉涼子、サザンオールスターズ(桑田佳祐)、軽井沢シンドローム、水曜どうでしょう、ももいろクローバーZのファンだった。なかでも軽井沢シンドローム好きが高じて、1990年代後半には軽井沢に家を建て、移住している。鉄道ファンでもあり、鉄道旅行を題材とする著作もある。AKB48など、自分の興味の無い人物・アーティストや音楽番組での口パクを全否定する傾向もみられ、批判を受けることもあった[18]。 サザンオールスターズに関しては40歳を過ぎた頃からファンになった[19][20]。桑田佳祐の信条や思想に対しては「桑田佳祐は右でも左でもない。アナキストなのだ。ただし、愛国者[注 3]であるなとは、私はときどき感じるのである」と評価している[26]。
来歴
人物
家族
趣味とエピソード
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
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