かつた ひさし
勝田 久
プロフィール
本名勝田 久[1][2]
性別男性
出身地 日本・東京都台東区根岸[3]
死没地 日本・東京都青梅市[4]
生年月日 (1927-04-02) 1927年4月2日
没年月日 (2020-02-21) 2020年2月21日(92歳没)
血液型O型[5][6]
職業俳優、声優
事務所アーツビジョン(最終所属)[7]
配偶者あり[4][8]
公称サイズ(時期不明)[10]
身長 / 体重162[9] cm / 64 kg
声優活動
活動期間1948年 - 2020年
ジャンルアニメ、吹き替え、ラジオドラマ、ナレーション
デビュー作九紋竜史進(『水滸伝』)[3]
俳優活動
ジャンルテレビドラマ、映画、舞台
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勝田 久(かつた ひさし、1927年〈昭和2年〉4月2日[5][6][11][12] - 2020年〈令和2年〉2月21日[4][8][13])は、日本の声優、俳優。東京都台東区根岸出身[3]。最終所属はアーツビジョン[7]。 聖学院高等学校を卒業。無線電信講習所(現:電気通信大学)卒業[10]。東宝演劇部[14]、NHK東京放送劇団[14]、森の会[15]、プレーヤーズセンター[15]、グループ・てえぶら[15](旧 - 東京タレントクラブ[2])、笹の会[16]、りんどうプロ[15]、俳協[14]を経て、アーツビジョン所属[7]。 幼少期から映画・演劇が好きであり、兄と共によく映画を観に行っていたという[17]。その頃、毎月欠かさず、佐藤紅緑の『あゝ玉杯に花うけて』、大佛次郎の『鞍馬天狗』、江戸川乱歩の『少年探偵団』といった雑誌の連載小説を読んでおり、人物が前にいると得意になって演じてみせていた[18]。第二次世界大戦中は、旧制中学4年生の時に[19]学徒動員で陸軍の工場に勤務した[3]。 戦後はラジオドラマの魅力に取り憑かれて、1946年に鎌倉アカデミア演劇科に入学して俳優の道を目指すようになる[3]。同級生には前田武彦、いずみたくなどがいた[3]。同時に夜間は、新協劇団研究所の研究生として新劇を学んだ[3]。 1947年からは東宝の演劇部に所属するようになり、翌年の舞台『鐘の鳴る丘』に出演[3]。この舞台で小山源喜から紹介されたNHK東京放送劇団の公募に合格[3]。3期生として、名古屋章、高橋和枝らと養成所へ入所した[3]。 1948年にNHKのラジオドラマ『水滸伝』の九紋竜史進役で声優デビュー[3]。以後は、NHKの専属声優として数々のラジオドラマに出演[3]。1954年からはNHKを退職して、フリーの声優として、民放のラジオ局にも活動の場を広げた[3]。1955年に森の会を結成し、テレビでの活動も開始した[2]。 1957年放送の海外ドラマ『海賊船サルタナ
経歴
生い立ち
キャリア
晩年・死去