勝海舟_(NHK大河ドラマ)
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勝海舟
ジャンルドラマ
原作子母澤寛『勝海舟』
脚本倉本聰中沢昭二
演出中山三雄 他
出演者渡哲也松方弘樹
(以下五十音順)
石橋蓮司
江守徹
大谷直子
大原麗子
丘みつ子
尾上松緑
加東大介
蟹江敬三
久我美子
小林桂樹
坂上忍
宍戸錠
清水?治
垂水悟郎
津川雅彦
戸浦六宏
中村富十郎
萩原健一
原保美
坂東八十助
藤岡弘
村井国夫
米倉斉加年
渡瀬恒彦
ナレーター石野倬
音楽冨田勲
製作
製作総指揮古閑三千郎 他
制作日本放送協会

放送
放送国・地域 日本
放送期間1974年1月6日 - 12月29日
放送時間日曜 20:00 - 20:45
放送枠大河ドラマ
放送分45分
回数全52

番組年表
前作国盗り物語
次作元禄太平記
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『勝海舟』(かつかいしゅう)は、1974年1月6日から12月29日まで放送されたNHK大河ドラマ第12作。1946年に刊行された子母沢寛の同名小説を原作に、勝海舟の生涯を、海舟を取り巻く人々の人間模様を織り交ぜて描いた。
企画・制作

脚本には倉本聰が起用された[1]。倉本はキャスティングの多くを決めて萩原健一岡田以蔵役に起用したりした[2]

当初、主人公の海舟役は渡哲也だったが、渡が膠原病に倒れて降板[3][4][5][6][7][8]、渡が第9話まで務めた後に異例の主役交代となり、第10話以降は松方弘樹が引き継いだ[9][4][5][6][7][10][11]。松方は好評だった1965年の『人形佐七捕物帳』に主演して以来のNHKドラマである。この交代に際して、松方の初登場となる第10話では、冒頭に前話の後に起きた(勝海舟とは離れた)出来事の描写を長めにとり、部屋に掛けられた佐久間象山の掛け軸からカメラを引いて松方演じる勝海舟の背中が映るという演出をおこなって、俳優交代の違和を少なくする工夫をした[12]

放送時はNHKの労使対立問題で現場が混乱して制作体制が定まっておらず、全話収録終了後に松方の不満が爆発[7]、脚本の倉本聰が勅使河原平八ら演出スタッフと衝突して降板し東京を去り[13]中沢昭二に交代した。ディレクターの一人だった伊豫田静弘の回想では、まずスタッフに大河の経験者が少なく、とりわけプロデューサーやチーフ・ディレクターといった指揮を執る役職がいずれも未経験者だったことにトラブルの端緒があるとしている[14]。チーフ・ディレクターの中山光雄は『赤ひげ』で倉本と組んだ経験から、難しい局面で倉本に頼る傾向があったという[14]。一方で、細かな演出の方針を巡って倉本と齟齬を来した演出スタッフは、次第に倉本のやり方を「演出の職域を侵害している」と見て不満を募らせた[14]。倉本自身は、自分が「本読み」(俳優との台本の読み合わせ)から抜けた後に演出家が無断で修正していると萩原から聞かされていた矢先、渡から松方への交代について取材を受けた週刊誌の見出しに「爆弾発言」と内部告発風の表現が出たことで、他のスタッフから吊し上げを受けて東京を離れたと記している[15][注釈 1]
松方の代役経緯

松方の代役が決まるまでは以下の経緯による。

渡が39度くらいの熱が続いているのにプロデューサーが収録を続けさせたことがNHK局内で大騒ぎになって当時の制作局長・川口幹夫の耳に届き[11]、主役をすぐかえないとマズいという話になった[11]。しかし代役候補に挙げた役者が全部スケジュールがダメで代役が決まらず[11]、最終的に松方弘樹が候補に挙がった[11]。しかし松方は当時売り出し中で、大阪の梅田コマ劇場で舞台をやっていてNHKは口説ききれず[10][11]、倉本自ら「俺が口説いてくる」とNHKに一任され、東映本社に乗り込み、岡田茂東映社長に直談判した[4][5][6][7][10][11]。すると岡田から「俺が松方に電話入れておくから大阪に行って本人を直接口説いてくれ」と言われ[10][11]、それまで面識の全くなかった松方に大阪で会ったら、倉本が新幹線に乗っている間に、既に岡田が諸問題をいろいろクリアしてくれていて、松方は「やらせていただきます」と即答した[10][11]。2015年8月の『日本経済新聞』「私の履歴書」の倉本の連載でも、松方は超多忙で代役は無理だろうとNHK局内に強まり、誰も口説きにいかないので、倉本自ら「東映社長の岡田茂さんに『松方を大河ドラマに出演させてください』とお願いすると『松方にもいいチャンスだ』と言って進行中の仕事を除いて、以後のスケジュールを止めてくれた」と書かれており[4]、『デイリースポーツ』の中島の連載や、倉本の著書『愚者の旅』もこれに似た記述がされている[4][5][6]。ただ能村庸一の著書では、岡田が推薦した松方は不良性抜群で、何故松方なのかNHKは理解に苦しむと、倉本の話とは少し異なる記述がされている[7]。最終的にNHK・松方・岡田の三者会談が行われ、「弘樹、人が困ってるんや、やってやれや」と岡田の鶴の一声で松方は代役を受けるハラを決めた[5][6][7]。松方は1974年3月当時の『サンデー毎日』の手記で、「渡哲也さんが病気で、勝海舟の代役にぼくの名前があがっていると、所属の東映から話をきいたのは1月24日のことだった。(中略)NHKの大河ドラマの主役交代というのは初めてのことだし、急にそんな話を持ってこられても答えに困る。そのうえぼくは東映所属の俳優だから、独行はできない。上のほうで相談して下さいと、その時は答えた。しかし早耳の新聞記者の人たちが、続々と楽屋に訪ねてこられる。(中略)あれよあれよという間に、交代劇は勝手に突っ走っていく感じだった。その夜ぼくは渡さんの家へ電話した。渡さんは不在だったが、奥さんが『あとはよろしくお願いします』といわれた。その直後渡瀬くんから電話がきた。『兄貴を助けてやってくれよ』といわれた。29日、梅田コマの公演が終わり、東映、NHKと三者会談があった。岡田社長が「やれよ」といった。ハラが決まったのはその時である。舞台があったので一度も番組を見ていない。原作も知らない。その日からあわてて原作を読み、(後略)」などと話している[16]。また松方の1975年の著書『松方弘樹の言いたい放談 きつい一発』では、渡哲也さんが病の床に倒れたので、その後を引き受けて欲しいと電話があって、いろいろ迷ってしまったが、岡田社長の『助けてやれや』の一言で結局、引き受けることに決まった、と書いている[17]

映画監督の中島貞夫の著書『遊撃の美学 - 映画監督中島貞夫』では、渡が病気になると倉本は東京大学文学部の同級生で親友である中島に「時代劇を背負えるやつが誰かおらんか」と相談し[18]、中島はこの頃仕事に恵まれず、空いていた松方を倉本に推薦[18]。NHKへ行く松方に中島は付き添い、「じゃあ弘樹ちゃんでいこう」と代役が決まった[18]、中島は「帰ってくる時に(主演)映画を一本用意しておく」と松方に約束した、と書かれている[注釈 2]。中島は著書で「この頃仕事に恵まれず、空いていた松方」と書いているが、松方は先述のようにこの頃忙しかったのであり、中島の記憶違いが見られる。当時の中島は1967年に東映を退社してフリーであった[19][20]。松方は東映専属の俳優ではなく岡田茂の個人預かりの俳優だった[21][22]。先の倉本の著書やインタビュー、『日本経済新聞』の連載、松方の手記、著書などにも中島は出てこない。

神経質でひ弱な海舟が出来あがり[5]、松方は放送終了後「NHKはモノをつくるところじゃない」などと発言して物議を醸した[23]


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