務安郡
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全羅南道 務安郡務安昊潭航空宇宙展示館と牛鳴山
位置

各種表記
ハングル:???
漢字:務安郡
日本語読み仮名:むあんぐん
片仮名転写:ムアン=グン
ローマ字転写 (RR):Muan-gun
統計(2023年
面積:448.95 km2
総人口:90,296[1]
男子人口:45,431 人
女子人口:44,865 人
人口密度:201.13 人/km2
世帯数:43,436 世帯
行政
国: 大韓民国
上位自治体:全羅南道
下位行政区画:3邑7面
行政区域分類コード:-
務安郡の木:チョウセンケヤキ
務安郡の花:キク
務安郡の鳥:シラサギ
自治体公式サイト: ⇒務安郡
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務安郡庁

務安郡(ムアンぐん)は、大韓民国全羅南道の西部にある郡である。務安郡の南西端には韓国西海岸有数の港町である木浦市が接しており、務安郡は木浦の近郊という位置づけにある。務安郡の西沖に浮かぶ島々は新安郡に属するが、かつては務安郡に属していた。2005年に光州にあった全羅南道庁が郡内の三郷面(現:三郷邑)五龍路(南岳里)に移転した。

全羅南道は務安郡で、対岸の中国を相手にする産業や企業などを集積させる「務安企業都市」計画を進めており、中国からの企業や学校進出も期待している。西海岸高速道路務安-光州高速道路、および既存の光州空港を代替するための務安国際空港などのインフラ整備も行った。

黄海沿岸の海岸はリアス式海岸となっており、小さな半島や島、湾が入り組んでいる。干潟も多く、務安干潟はズグロカモメクロツラヘラサギカラシラサギなどの水鳥の飛来やタコ漁などで名高く2008年1月にラムサール条約登録地となった[2]。しかし開発により干潟は破壊され年々縮小している。
歴史

百済の勿阿兮郡。

757年 - 務安郡設置。

1439年(世宗21年) - 木浦万戸鎮設置。(『木浦市公式サイト』木浦市の歴史)

1885年 - 木浦万戸鎮を廃止し務安郡に編入。

1887年 - 木浦開港。

1910年10月1日 - 務安府が木浦府に改称。

1914年

1月17日 - 湖南線が木浦まで開通。

4月1日 - 郡面併合により、木浦府の大部分(市街地の府内面と咸平郡に編入された金洞面・進礼面・佐村面・厳多面・新老面を除く)・智島郡の大部分(古群山面・蝟島面・落月面を除く)・莞島郡の一部(八禽面)・珍島郡の一部(都草面)を務安郡として編成。務安郡に以下の面が成立。[3](25面)

二老面・一老面・朴谷面・清渓面・玄慶面・望雲面・海際面・三郷面・外邑面・石津面・智島面・荏子面・沙玉面・慈恩面・岩泰面・長山面・荷衣面・飛禽面・押海面・蝉島面・黒山面・箕佐面・安昌面・八禽面・都草面

1917年(21面)

蝉島面が智島面・押海面に分割編入。

箕佐面・安昌面・八禽面が合併し、安佐面が発足。

沙玉面が智島面に編入。


1931年4月1日 - 外邑面が綿城面に改称。[4](21面)

1932年

二老面の一部が木浦府に編入。(21面)

11月4日 - 石津面・朴谷面が合併して石谷面が発足。(20面)


1939年4月1日 - 石谷面が夢灘面に改称。(20面)

1957年11月6日 - 綿城面が務安面に改称。[5](20面)

1963年1月1日(19面)[6]

二老面を廃止し、三郷面・木浦市に分割編入。

黒山面牛耳島里が都草面に編入。

珍島郡鳥島面馬津島里が長山面に編入。


1969年1月1日 - 智島面・荏子面・慈恩面・飛禽面・都草面・黒山面・荷衣面・長山面・安佐面・岩泰面・押海面を新安郡として分離。[7](8面)

1971年5月27日 - 望雲面に雲南出張所を設置。

1973年7月1日 - 三郷面の一部が木浦市に編入。(8面)

1979年5月1日 - 務安面が務安邑に昇格。[8](1邑7面)

1980年12月1日 - 一老面が一老邑に昇格。[9](2邑6面)

1983年2月15日 - 望雲面雲南出張所が雲南面に昇格。(2邑7面)

1987年1月1日 - 三郷面の一部が木浦市に編入。(2邑7面)

2005年11月 - 道庁が三郷面に移転し、道庁所在地となる。

2011年1月1日 - 三郷面が三郷邑に昇格。(3邑6面)

行政行政区域図
行政区域

邑・面法定里
務安邑
校村里、城内里、高節里、城南里、星巌里、城東里、?谷里、新鶴里、龍月里、平龍里


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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