動員戡乱時期臨時条款
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動員戡乱時期臨時条款
動員戡亂時期臨時條款
国民大会
引証[1][2]
適用地域 中華民国
提案者国民政府
成立日1948年4月18日
施行日1948年5月10日
廃止日 中華民国大陸地区):1949年12月10日まで
中華民国台湾・澎湖金門・馬祖):1991年5月1日
改正
1960年3月11日、1966年2月12日、
1966年3月22日、1972年3月17日[3]
関連法令
中華民国憲法
中華民国憲法増修条文
動員戡乱時期自由地区中央公職人員増員補選弁法(中国語版)(廃止)
公職人員選挙罷免法(中国語版)
現況:廃止

動員戡乱時期臨時条款
各種表記
繁体字:動員戡亂時期臨時條款
?音:Dongyuan K?nluan Shiq? Linshi Tiaoku?n
注音符号:???? ??? ?? ???? ?? ?|? ?|?? ?? ?|?? ????
発音:ドンユェン カンルアン シーチー
リンシー テャオクアン
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動員戡乱時期臨時条款(どういんかんらんじきりんじじょうかん)は、かつて中華民国憲法にその一部をなす「臨時」の修正条項として追加された規定である。「反乱鎮定動員時期臨時条項」あるいは「反乱平定時期臨時条款」(Temporary Provisions Effective During the Period of Communist Rebellion、共産主義者反乱対策臨時措置法)などと日本語訳されることがある。

憲法本文を凍結し1948年から1991年まで修正を重ねながら43年間存続した。
概要「中華民国憲法#「動員戡乱時期臨時条款」の公布と戒厳令の施行」も参照

国共内戦中華民国ではこれを中国共産党反乱と捉える)の勃発を受け、総動員体制(動員戡乱(中国語版))を敷くため、1948年4月18日国民大会の第一期大会第一次第十二回会議(中国語版)で制定され、同5月10日に施行された。臨時処置とはいえ、1947年12月の憲法施行から僅か4箇月余りで、事実上の憲法改正を行ったことになる。このため憲法本文を修正せず、この臨時条款が制定された。

当初、この臨時条款の効力は2年間とされていた。しかし、中国国民党は国共内戦に敗北し、台湾逃れた。その後も臨時条項は台湾で施行され続け、1991年に廃止されるまで5回の修正を重ねた。結果的に臨時条款は暫定的なもののはずの戒厳令という国家緊急権の長期的施行を可能とした。本来は五院の調整役に過ぎなかった総統(大統領)には、国防治安などの権限が極度に集中した。

また、中央民意代表機関(国会)の選挙も凍結され、中国大陸で選出された議員が半世紀近くも居座り続けた(「万年議員」)。そのため、国民大会立法院監察院は「万年国会」と呼ばれた。国民党政府は人権民主主義よりも、全中国の統治を前提とした中華民国憲法本文の形式的な存続や、大陸で選出された議員の存在を重視し、これを「法統」と呼んだ。そして、民主化要求を「法統」を犯す「法理独立」だと決め付け、弾圧した。

一方、動員戡乱時期臨時条款が台湾の政治体制に与えた影響は、今日も残っている。一つは、憲法改正が修正条項を追加する形式をとるようになり、それが継続していることである。もう一つは、総統が国家安全会議を通して、行政院と共に行政に関与し続けていること(半大統領制)である。.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}ウィキソースに動員戡乱時期臨時条款の原文があります。
1948年の臨時条款

臨時条款の条文には、号数が割り振られていない。総統は動員戡乱時期(中国語版)において、国家や人民に緊急の危機を避けるため、また、政治・財政・経済上の大変動に対応するため、行政院会議の決議を経て、緊急処分令や戒厳令を実施できるものとする。なお、緊急処分令や戒厳令は憲法39条および43条の制限[4]を受けない。

前記の緊急処分令について、立法院は憲法57条第2項に基づき、変更や廃止を求めることができる。
動員戡乱期の終了は総統が宣言する。もしくは、立法院が総統に宣言を要請することができる。
第1期国民大会は、総統が民国39年(1950年12月25日以前に臨時開会し、憲法修正に関する事項を議論する。臨時条款の終了が前項の規定によって宣言されていなければ、国民大会臨時会議が、その延長もしくは廃止を決定しなければならない。

実際には1950年ではなく、1954年3月11日の第1期国民大会第2次会議で延長された。
1960年の改正
変わらず

変わらず

動員戡乱時期において、憲法47条の制限(総統・副総統の再選は1回のみ)を受けない。

国民大会の創制(法案作成)と複決(承認)権について、第3次会議閉会後に検討を行う。新設される行政機構、法律、憲法修正に関する事項についても、総統が国民大会を臨時召集して決定する。

国民大会の臨時会議は、第3代総統が任期内の適当な時期に召集する。

動員戡乱時期の終了は総統が宣言する。(立法院の要請について定めた文言は削除)

臨時条款の修正、廃止は国民大会が決定する。

1966年の改正

2月と3月に改正された。なお、本改正により、初めて条文に号数が割り振られた。

2月改正では第4号から第6号までの全3号が新しく定められ、3月改正では2月改正の第4号以降を第6号からに繰り下げた上で新たに第4号と第5号を追加し、3行目と5行目の間に挿入された。
2月改正の内容
旧1条

旧2条

旧3条

動員戡乱時期において、国民大会は立法に関し、憲法27条第2項の制限(憲法修正および改憲案の承認には、中国全土の半数の県市での同意が必要)を受けない。

動員戡乱時期において、総統は法案作成及び承認が必要であると認めた場合、臨時の国民大会を召集して議論する。

国民大会の閉会中は、研究機構を設置して憲法問題を検討する。

旧6条

旧7条

3月改正の内容
旧1条

旧2条

旧3条

動員戡乱時期において、総統に動員戡乱機構の設置を認め、動員戡乱の方針決定と戦地の政務処理を委任する。

総統は必要に応じて、中央政府や選挙で選出される公職の調整を行うことができる。
また、「自由地区」あるいは「光復地区」(中華民国の実効支配地域、すなわち台湾)の人口増加や公職の欠員などによる増員や補欠選挙を行うため、特別措置法を制定できる。

2月改正の旧4条

2月改正の旧5条

2月改正の旧6条

2月改正の旧7条

2月改正の旧8条

1972年の改正
変わらず

変わらず

変わらず

変わらず

旧5条前半

動員戡乱時期において、総統が以下の規定に従って中央民意代表(
五院と国民大会の代議員)に関する法律を公布するときは、憲法26条(国民大会代表に関する規定)、64条(立法院選挙の規定)、91条(監察院選挙の規定)の制限を受けない。
定期選挙において、自由地区(台湾)にあって増員された中央民意代表、あるいは国外居住者など選挙に参加できない者を代表する議員については、総統が特別に選挙法を定めることができる。

第一期中央民意代表(いわゆる万年議員)は、法に従ってその職権を行使する。増員議員及び補選者もこれに倣う。
大陸光復地区(軍政下の金門・馬祖地域)では、順次中央選挙を行う。

増員された中央民意代表は、第一期中央民意代表とともに、法に従ってその職権を行使する。
増員された国民大会代表は6年、立法委員は3年、監察委員は6年ごとに改選される。


旧6条

旧7条

旧8条

旧9条

旧10条

臨時条款廃止の経緯(1990年?1991年)動員戡乱時期臨時条款の廃止を宣言する李登輝(1991年4月30日)ウィキソースに動員戡乱時期終了の総統令の原文があります。ウィキソースに総統令 (動員戡乱時期の終了について)の原文があります。ウィキソースに動員戡乱時期臨時条款廃止の総統令の原文があります。ウィキソースに総統令 (動員戡乱時期臨時条款の廃止について)の原文があります。「万年国会#万年国会の解消」も参照

1988年に就任した李登輝総統は、1989年1月に第一期中央民意代表に対して、高額の年金と引き換えに引退を促す条例を可決させた。


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