出典は列挙するだけでなく、脚注などを用いてどの記述の情報源であるかを明記してください。記事の信頼性向上にご協力をお願いいたします。(2021年5月)
加越線
柴田屋駅(1964年)
概要
現況廃止
起終点起点:石動駅
終点:庄川町駅
駅数14駅
運営
開業1915年7月21日 (1915-07-21)
全通1922年7月22日
廃止1972年9月16日 (1972-9-16)
所有者砺波鉄道→加越鉄道→富山地方鉄道→加越能鉄道
使用車両車両の節を参照
路線諸元
路線総延長19.5 km (12.1 mi)
軌間1,067 mm (3 ft 6 in)
電化全線非電化
テンプレートを表示
駅・施設・接続路線
凡例
0.0石動駅
1.6南石動駅
2.6四日町駅
4.6薮波駅
7.3津沢駅
8.9本江駅
9.9野尻駅
10.9柴田屋駅
JR西:城端線
12.8福野駅
14.5焼野駅
15.7高瀬神社駅
17.6井波駅
18.6東山見駅
19.5庄川町駅
今尾 2008, pp. 17, 33による
加越線(かえつせん)は、かつて富山県小矢部市の石動駅と同県東礪波郡庄川町(現在の砺波市)の庄川町駅を結んでいた鉄道路線。1972年9月16日に全線が廃止された。 加越鉄道
路線データ
路線距離(営業キロ):19.5km
軌間:1067mm
複線区間:なし(全線単線)
電化区間:なし(全線非電化)
閉塞方式:タブレット閉塞式(石動 - 福野間、高瀬神社 - 庄川町間)、票券閉塞式(福野 - 高瀬神社間)
歴史
種類株式会社
本社所在地 日本
富山県東砺波郡福野町福野775[1]
設立1912年(大正元年)11月15日[1]
業種鉄軌道業
事業内容旅客鉄道事業[1]
代表者常務 有川哲四郎
資本金985,000円(払込額)[1]
特記事項:上記データは1940年(昭和15年)11月1日現在[1]。
テンプレートを表示
砺波地方には1897年に中越鉄道(現城端線)が開通した。しかし、津沢町(現小矢部市津沢)や井波町(現南砺市)、青島村(現砺波市庄川町)などは鉄道から取り残された形となった。そこで、官設鉄道北陸線に接続したい津沢の人々と、中越鉄道に接続したい青島の人々が中心となって1912年に砺波鉄道が設立され、北陸線石動駅から中越鉄道福野駅を経由して青島に至る鉄道を建設することとなった。
1915年7月21日に福野駅 - 青島町駅(後の庄川町駅)間が開業。1919年に、金沢と福野を結ぶ目的で設立された金福鉄道を合併し、加越鉄道に改称した。「加越」は加賀国と越中国の頭文字をつなげたものであり、金福鉄道の計画を引き継いで金沢までの路線の敷設を目指しての命名であった。1922年に残りの石動駅 - 福野駅間が開業し、全線が開通した。
当初蒸気機関車を用いていたが、昭和に入ると合理化のため気動車導入を進めた。1931年2月10日付でガソリン動力併用認可を受け、ガソリンカー3両を導入。さらに1932年7月12日付で重油動力併用認可を受け、ディーゼルエンジンを搭載したディーゼルカーを1937年までに3両導入した。ディーゼルカーの採用では日本でも早い例の一つである[2]。
1943年の交通大統合で富山地方鉄道(地鉄)に合併されて同社の加越線となり[3]、1950年の加越能鉄道(現在の加越能バス)設立の際に同社に譲渡された[4][5][6]。
庄川の小牧ダム建設のための資材運搬[7]によって一時活況を呈したが、小牧ダムの建設が終わると、不況も加わって営業成績は悪化の一途をたどった。加越能鉄道は加越線の赤字の埋め合わせのために、1959年に親会社の地鉄から高岡軌道線の譲渡を受けている。