九州朝日放送アナウンサーの「加藤恭子」あるいは「加藤恭子 (評論家)」とは別人です。
かとう きょうこ
加藤 香子プロフィール
本名加藤 香子[1]
愛称オコ, オコちゃん
生年月日1964年12月11日
現年齢59歳
出身地東京都大田区
血液型B[2]
公称サイズ(1984[4]時点)
身長162 cm
スリーサイズ85 - 58 - 88 cm
備考左の頬、右目尻の下、唇の右下にほくろ[3]
単位系換算
身長 / 体重5′ 5″ / ― lb
スリーサイズ33 - 23 - 35 in
事務所ワン・ステップ・ミュージック[5]
受賞歴ミスマガジン優勝(1983年)
アイドル: テンプレート - カテゴリ
加藤 香子(かとう きょうこ、本名:同じ、1964年12月11日 - )は、日本の元女優・元アイドル歌手。 1964年12月11日[1]、東京都大田区に[2]生まれる。 1971年4月1日、小学校入学。小学生時代は習字をやっており、その当時は書道の先生になりたかたったとずっと思っていたという[6][7]。 1977年4月1日、中学校入学。中学生時代は剣道部で活動[7]。たれ目気味な目の形もあって、石野真子に似ているとよく言われるようになった[8]。病院に勤務していた母親の影響もあって私立高校の看護科を受験したが「自分としてはとても向かない」として断念。東京都立羽田高等学校に転向[8]。 1980年4月1日、羽田高等学校入学。在学中はフォークソング部で活動[1]、同じ部活の女子3人で「ちゃい夢」というグループを組んで活動、専ら尾崎亜美の曲を歌っていた[9]。 高校を卒業する頃になっても当時は芸能界に行こうとは考えてもなく[4]、最初は大学に進学するつもりでいたが、家庭の経済的な事情もあって断念[2]。1983年3月31日、高校卒業。 卒業後はコンピューター関係の会社に就職してソフトプログラマーとして勤務[4]。そのまま普通にOLとしてやっていこうと思っていたが[10]、友人が「退屈しのぎ」にと1983年のミスマガジンに応募し、4,350名の中から選ばれ優勝[2]。会社を3か月ほどで退職し[5]、ワンステップミュージック、ワーナーパイオニアと契約し芸能界入り。1983年に『DELUXEマガジン』の表紙グラビアにビキニ姿で初登場し、その巨乳のスタイルとうらはらな童顔で話題を集めた[11]。 翌年、ワーナーパイオニアから「偽名」で歌手デビュー。レコード会社の先輩、中森明菜に雰囲気が似ていることからポスト明菜として売りだされた。また、デビュー曲「偽名」はリゾートでのひと夏の経験がテーマになった。キャッチフレーズは「大胆したい」。歌手デビューの同期には岡田有希子、荻野目洋子、長山洋子、菊池桃子などがいる[11]。可愛かずみとは当時仲がよかった。 1986年、野村誠一撮影の写真集『あれから』でいきなりヌードを披露した。同年出演した映画『まんだら屋の良太』でもヌードを披露し、その後引退した[11]。 #発売日A/B面タイトル作詞作曲編曲規格品番
略歴
写真集
野村誠一『艶ってるね、熱?い香子』(1985年4月23日、講談社)
野村誠一『あれから』(1986年、講談社)
人物
好きなものはカーネーション、数学、スイカ、リンゴ、夏、車(特にフォルクスワーゲン・ゴルフ、ミニクーパー)、推理小説(特にアガサ・クリスティ)、落合恵子のエッセイ(1983年当時公表していたプロフィールによる)[3]
愛称は「オコ(ちゃん)」。「キョーーーオコ」と長く伸ばして呼ばれているうちに「キョウ」の部分が取れ、残った「オコ」が愛称になったとのこと[3]
書道では五段の段位を持ち[4]、中学3年生相手までは教えることのできる免許を取得しているとのこと[6]。
ディスコグラフィ
シングル
全てワーナー・パイオニアからリリース。
11984年
6月20日A面偽名売野雅勇芹澤廣明若草恵L-1675
B面ジョークでいいじゃん三浦徳子馬飼野康二
21984年
10月25日A面勝手にさせてL-1689
B面アバンチュール売野雅勇芹澤廣明若草恵
31985年
1月25日A面本牧レイニー・ブルース見岳章L-1699
B面カルメンの微笑
出典^ a b c 河北新報 1984, p. 20.
^ a b c d 明星 1984o, p. 130-131.
^ a b c MISSマガジン 1983, p. 3-7.
^ a b c d 横谷 1984, p. 34.
^ a b 月刊平凡 1984, p. 91.
^ a b セブンティーン 1984, p. 238.
^ a b DELUXEマガジン 1984b, p. 141-150.
^ a b 近代映画 1984, p. 126-128.
^ DELUXEマガジン 1983a, p. 8-25.
^ 明星 1984a, p. 90.
^ a b c 大島 2016.
参考文献
「決定! MISSマガジン この愛くるしさはたまらない 加藤香子クン」『週刊少年マガジン』第25巻第38号、講談社、1983年、3-7頁、全国書誌番号:.mw-parser-output cite.citation{font-style:inherit;word-wrap:break-word}.mw-parser-output .citation q{quotes:"\"""\"""'""'"}.mw-parser-output .citation.cs-ja1 q,.mw-parser-output .citation.cs-ja2 q{quotes:"「""」""『""』"}.mw-parser-output .citation:target{background-color:rgba(0,127,255,0.133)}.mw-parser-output .id-lock-free a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-free a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/6/65/Lock-green.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-limited a,.mw-parser-output .id-lock-registration a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-limited a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-registration a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/d/d6/Lock-gray-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .id-lock-subscription a,.mw-parser-output .citation .cs1-lock-subscription a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/aa/Lock-red-alt-2.svg")right 0.1em center/9px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-ws-icon a{background:url("//upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/4/4c/Wikisource-logo.svg")right 0.1em center/12px no-repeat}.mw-parser-output .cs1-code{color:inherit;background:inherit;border:none;padding:inherit}.mw-parser-output .cs1-hidden-error{display:none;color:#d33}.mw-parser-output .cs1-visible-error{color:#d33}.mw-parser-output .cs1-maint{display:none;color:#3a3;margin-left:0.3em}.mw-parser-output .cs1-format{font-size:95%}.mw-parser-output .cs1-kern-left{padding-left:0.2em}.mw-parser-output .cs1-kern-right{padding-right:0.2em}.mw-parser-output .citation .mw-selflink{font-weight:inherit}00010845
横谷弘文「今週のホープ〈加藤香子〉」『週刊明星』第27巻第28号、集英社、1984年、34頁、doi:10.11501/1826368
表
話
編
歴
ミスマガジングランプリ受賞者
ミスマガジン
(少年マガジン主催)
1982 伊藤麻衣子
1983 加藤香子
1984 斉藤由貴
1985 八木小織
1986 遠藤晶
1987 仲地さより
1988 日原麻貴
1989 江崎まり・中村通代