加藤武
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その他の「かとうたけし」の同名の人物については「Wikipedia:索引 かとう#かとうた」をご覧ください。

本名が「加藤武」の浪曲師の「国本武春」とは別人です。
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かとう たけし
加藤 武
本名加藤 武
生年月日 (1929-05-24) 1929年5月24日
没年月日 (2015-07-31) 2015年7月31日(86歳没)
出生地 日本東京府東京市京橋区(後の東京都中央区
死没地 日本・東京都
身長166 cm
職業俳優声優
ジャンル映画テレビドラマ演劇
活動期間1952年 - 2015年
配偶者なし
主な作品
テレビドラマ
なっちゃんの写真館
真田太平記
天うらら
風林火山』 映画
悪い奴ほどよく眠る
仁義なき戦い 代理戦争
仁義なき戦い 頂上作戦
犬神家の一族
悪魔の手毬唄
獄門島
釣りバカ日誌』シリーズ
犬神家の一族

 受賞
報知映画賞 第2回助演男優賞
1977年『悪魔の手毬唄』/『獄門島』
第49回紀伊國屋演劇賞個人賞

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加藤 武(かとう たけし、1929年5月24日 - 2015年7月31日)は、日本男性俳優声優文学座前代表。東京市京橋区(現:東京都中央区)出身。早稲田大学英文科卒業。俳号は「阿吽[1]
来歴

1929年、築地で仲卸業を営む家に生まれる。祖母は十五代目市村羽左衛門の贔屓、両親[注釈 1]共に清元節を嗜み、姉は舞踊[要曖昧さ回避]をやっていた。中央区立泰明小学校麻布中学校早稲田大学高等学院卒業[2]小沢昭一フランキー堺仲谷昇大西信行なだいなだ内藤法美は麻布中学校の同級生だった。幼少期より歌舞伎を愛好し、学校を早退してまで歌舞伎座に通っており俳優に憧れていた。

早稲田大学では演劇研究会に入り、ここで映画監督の今村昌平・俳優の北村和夫らと知り合う[3]。小沢、大西らと学生劇場に参加[3]。やがて今村昌平から脱退を進められ、小沢、大西、北村和夫、岩村久雄、沼田幸二らとオスカーというグループを結成した[3]

卒業後、地方公務員の公立高校教員として新宿区立大久保中学校教諭[3]に就き英語を教えるも俳優への道を諦めきれず、1952年、辞職して先に北村が入団していた文学座研究所に入る。早大の同級・北村和夫とともに文学座の看板女優杉村春子に芸をたたき込まれた[4]。この頃に演芸評論家作家である正岡容に出会い、小沢や落語家桂米朝、作家・都筑道夫らと共に歌舞伎と芸のいろはを学ぶ。同年の『狐憑』が初舞台となる。1959年に正式に座員となり、『美しきものの伝説』『富島松五郎伝』などの舞台に出演した。1974年に盟友の小沢昭一や山口崇永六輔らと芸能座を結成した。しかし、1980年に解散し、文学座に戻った。1985年には吉永仁郎原作の『芝居 月もおぼろに』を演出した。

映画には1953年今井正監督『にごりえ』に端役で出演したことから始まり、翌年の黒澤明監督『七人の侍』では町を歩く侍役でノンクレジット出演している。1957年の『蜘蛛巣城』における都築警護の武士役や『隠し砦の三悪人』の冒頭部分で壮絶な死にざまを見せた落武者、『悪い奴ほどよく眠る』の主人公の相棒・板倉役など計8作の黒澤作品に出演した。ほか『仁義なき戦い』シリーズの優柔不断な親分・打本昇役でも知られる。

犬神家の一族 (1976年の映画)』『悪魔の手毬唄』をはじめとする金田一耕助シリーズでは役名が毎回異なるものの、粉薬が手放せず、イチイチ大仰な身振りで「よしっ! 分かった!」と手をポンと叩きながら早合点を繰りかえす警察幹部を好演し、野村證券のCMでも使用された。

市川崑や黒澤、浦山桐郎今村昌平らから重用された。14本に出演した市川作品では、別に駆け出し時代の1954年に『女性に関する十二章』でナレーターを務めている(ノンクレジット)が、20年以上経って『犬神家の一族』に顔出しで初出演した際は、市川が覚えてなかったという。

テレビドラマでは1970年代にNHKで放映された『警部マクロード』の上司役でのアテレコ、時代劇では『真田太平記』の本多忠勝、『風林火山』の諸角虎定など、歴史上の人物を演じている。

1976年10月から1977年3月まで、TBSラジオのナイターオフ番組『山田二郎ワイドで勝負!90分』の番組内にて『加藤武のラジオ国語辞典』と題するラジオ番組のディスクジョッキーを担当していたこともあった[5]

映画『釣りバカ日誌』では主人公・浜崎伝助の務める鈴木建設の秋山鉄蔵専務役、リメイク版『日本沈没』では地球物理学学者に扮したほか、2006年に映画『犬神家の一族』が30年ぶりにリメイクされた際には、オリジナル版と同じ役で再登場。


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