この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
出典検索?: "加藤武雄"
その他の同名の人物については「加藤武雄 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
「加藤武男」、「加藤武男 (流し)」、あるいは「加藤猛夫」とは別人です。
加藤 武雄(かとう たけお、1888年5月3日 - 1956年9月1日)は、大正・昭和期の小説家。号は冬海。 神奈川県津久井郡川尻村(現・相模原市緑区)生まれ。高等小学校卒。川尻尋常小学校(現・相模原市立川尻小学校)で訓導(準教員)を務める。親戚に八木重吉がおり、川尻尋常小学校では教え子でもあった[1]。 投書家として次第に名を知られ、明治時代末から佐藤義亮に接近。1911年、新潮社に入社し編集者となり、『文章倶楽部』などを編集。1919年、農村を描いた自然主義的な短編集『郷愁』で作家として認められる。1922年?1923年の『久遠の像』以後、通俗小説、少女小説の書き手となり、大正末から昭和初期にかけて、中村武羅夫、三上於菟吉と並び称せられる通俗小説家として一世を風靡し、三人あわせての『長編三人全集』が刊行された。戦時下には戦意高揚小説を書き、戦後はやはり通俗小説を量産した。 また、八木重吉の2冊の詩集(『秋の瞳』『貧しき信徒』)の刊行を助力し、巻頭言や序文を執筆した[1][2]。 晩年は有馬頼義に「長い間書いてきた私の大衆小説は、消える。もう一つだけでも、後世に残るような作品を書いてから死にたい」と語っていたが志を果たすことなく、1956年9月1日に脳出血のため東京都世田谷区成城の自宅で死去。享年68。戒名は浄智院久遠冬海居士[3]。墓所は多磨霊園。 津久井湖(城山ダム・城山大橋)方面から国道413号の都井沢交差点を左折し直進した先にある、城山発電所の構内を抜けて坂道を登り城山湖畔に向かう途中に加藤の文学碑がある。この文学碑は女婿の丹下健三が設計した。 門人に佐藤愛子がいる。文学碑
来歴
著書
郷愁 新潮社, 1919
夢みる日 新潮社, 1920
悩ましき春 新潮社, 1921
處女の死 新潮社
彼女の恋人 金星堂, 1922
幸福の国へ 新潮社
久遠の像
感謝 新潮社, 1924
都会へ 新潮社
東京の顔 新潮社
廃園の花 サクラヤ書店
祭の夜の出来事 玄洋社
煉獄の火 大阪屋号書店
矢車草 寳文館
わが小畫板 新潮社 (感想小品叢書)
珠を抛つ 新潮社, 1925
土を離れて 新潮社
夜曲 新潮社
春の幻 寳文館
彼女の貞操 交蘭社, 1926
君よ知るや南の国 大日本雄弁会
審判 大日本雄弁会
明治大正文学の輪郭 新潮社 (文芸入門叢書)
農民文芸の研究 犬田卯共編 春陽堂 (農民文芸叢書)
愛の道 新潮社
狂想曲 実業之日本社, 1927
愛染草 大日本雄辯會
華鬘 大日本雄弁会講談社, 1928
饗宴 新潮社, 1929
昨日の薔薇 新潮社, 1930
長篇三人全集 28巻 新潮社, 1930?32
海に立つ虹 大日本雄辯會講談社, 1931
砧村随筆 玉川学園出版部, 1932 (玉川文庫)
文芸随筆 玉川学園出版部, 1932 (玉川文庫)
郊外通信 健文社, 1935
八犬伝物語 新潮文庫, 1937
吹けよ春風 大日本雄辯會講談社, 1938
合歓の並木・愛の山河 非凡閣, 1939 (新作大衆小説全集)
加藤武雄短篇選集 全4巻 大都書房, 1940
二宮尊徳 新潮社, 1941 (土の偉人叢書)