俳優の「加藤正記」あるいは「加藤正義 (角田市長)」とは別人です。
加藤 正樹追手門学院大学硬式野球部 監督
基本情報
国籍 日本
出身地大阪府大阪市城東区
生年月日 (1965-06-14) 1965年6月14日(58歳)
身長
体重173 cm
75 kg
選手情報
投球・打席左投左打
ポジション外野手
プロ入り1987年 ドラフト外
初出場1988年6月14日
最終出場1993年10月1日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
PL学園高等学校
早稲田大学
近鉄バファローズ (1988 - 1995)
監督歴
バイタルネット
追手門学院大学
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加藤 正樹(かとう まさき、1965年6月14日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(外野手)。 PL学園高等学校では、3年夏の選手権大会で三番・中堅手を任され、決勝戦で横浜商業高の三浦将明から本塁打を放つなどチームの優勝に貢献した[1]。2学年下に清原和博と桑田真澄がいた。 1984年に高校卒業後、早稲田大学に進み、石井浩郎らとともに中心選手として活躍した。3年生の1986年には春季リーグ戦でベストナインに選ばれ[2]、同年の日米大学野球の日本代表に入っている[3]。大学時代は通算60試合出場、199打数63安打、打率.317、5本塁打、33打点の成績を残した。 プロ入りを希望していたものの獲得する球団は現れず、自ら売り込んで1987年オフにドラフト外で近鉄バファローズに入団した[4]。後に石井も近鉄に入団しチームメイトとなった。シャープな打撃には定評があり、本塁打を期待されていたという[4]。 1年目の1988年は6月8日に一軍登録され[5]、同年のジュニアオールスターゲームではウェスタンの一番・左翼手として先発出場した[6]。8月14日には一軍で吉田豊彦から初ホームランを放ち[5]、10.19では代打として出場している。 1990年は7月には打撃でチームの9連勝を支える働きを見せるなど[7]、主に左翼手として37試合にスタメンで起用されてキャリアハイの成績を残している。また、11月にはパ・リーグ東西対抗にも出場した[8]。以降は一軍と二軍の往復を繰り返し、球団から広報への就任を打診され[4]、1995年に現役を引退。 近鉄バファローズ消滅後は、梨田昌孝らをマネジメントするトゥルーマサの代表取締役となった。 2019年より社会人野球のバイタルネットの監督に就任[9]。2021年限りで退任した[9]。 2022年より阪神大学野球連盟に加盟する追手門学院大学の監督に就任した[9]。 年
来歴・人物
詳細情報
年度別打撃成績
度球
団試
合打
席打
数得
点安
打二
塁
打三
塁
打本
塁
打塁
打打
点盗
塁盗
塁
死犠
打犠
飛四
球敬
遠死
球三
振併
殺
打打
率出
塁
率長
打
率O
P
S
1988近鉄305043572011220000700123.163.280.279.559
19896421000000000020020.000.500.000.500
19909219017220491123732402701011172.285.328.424.752
199150675810123101720040510121.207.270.293.563
19921827263710081001000040.269.269.308.577
19939441110021000000030.250.250.500.750
通算:6年2053423054076183411230021202421506.249.306.367.673
記録
初出場:1988年6月14日、対阪急ブレーブス9回戦(西京極球場)、8回裏に吹石徳一に代わり左翼手として出場
初打席:同上、9回表に山内嘉弘の前に凡打
初先発出場:1988年6月19日、対ロッテオリオンズ11回戦(藤井寺球場)、1番・左翼手として先発出場
初安打・初打点・初本塁打:1988年8月14日、対南海ホークス16回戦(大阪スタヂアム)、6回表に吉田豊彦から右越ソロ
背番号
21 (1988年 - 1989年)
29 (1990年 - 1995年)
脚注^ ⇒asahi.com 第65回全国高校野球選手権大会
^ ⇒東京六大学野球連盟 リーグ戦記録 ベストナイン
^ ⇒JUBF 第15回日米大学野球選手権大会 日本代表