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出典検索?: "加藤望"
加藤 望
名前
愛称ノゾさん
カタカナカトウ ノゾム
ラテン文字KATO Nozomu
基本情報
国籍 日本
生年月日 (1969-10-07) 1969年10月7日(54歳)
出身地宮城県
身長170cm
体重62kg
選手情報
ポジションMF、FW
利き足右足
クラブ1
年クラブ出場(得点)
1992?2004 日立 / 柏レイソル 288 (52)
2005-2008 湘南ベルマーレ 170 (30)
監督歴
2011-2012湘南ベルマーレU15平塚
2013-2017産業能率大学サッカー部
2018柏レイソル
2019明治学院大学サッカー部
1. 国内リーグ戦に限る。
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj
加藤 望(かとう のぞむ、1969年10月7日 - )は、宮城県仙台市出身[1]の元プロサッカー選手、サッカー指導者。現役時代のポジションはミッドフィールダー、フォワード。元柏レイソル監督。 東海大学時代まではFWでプレー。礒貝洋光や澤登正朗、山口素弘らと共に黄金期を築いた。 大学卒業後の1992年、柏レイソルの前身である日立製作所本社サッカー部に入団した。入団当初の2年間は出場機会に恵まれなかったが、「試合に出ている人と同じことをしていてはダメだ。練習をするしかない」[2]という危機感から打ち込んで1994年には主力選手となり、同年の柏のJリーグ昇格に貢献した。翌1995年には日本代表候補にも選出された。1996年のリーグ戦では二桁アシストを決めるなどの活躍を見せていた[3]。2002年以降は出場機会が減少し、入団から13年目の2004年に柏から戦力外通告を受けた。 そこで現役を続行するため、Jリーグ合同トライアウトに参加すると、複数クラブから獲得のオファーを受けた。その中から加藤が「もっとも熱心に、本気で必要としてくれていると感じた」[2]J2の湘南ベルマーレに移籍するとすぐにレギュラーに定着し、2007年にはリーグ戦で自身初の2桁得点を挙げる。 39歳を迎える2008年も現役を続け、三浦知良、森山泰行に次ぐJ2で3番目の年長選手となった。2008年限りで湘南から戦力外を受け、トライアウトに挑むも現役引退を選ぶ。 2009年より湘南のコーチに就任し、2011年からは同U15監督。2013年には産業能率大学サッカー部監督に就任した。 2018年、選手時代にチームメイトであった下平隆宏が率いる古巣柏のヘッドコーチに就任。5月13日に下平の解任により、監督に就任した[4]。就任期間のリーグ戦は5勝1分12敗と大きく負け越し、終盤の勝負どころで3連敗を喫するなど降格圏を脱せず、11月10日付で解任された[5](結果的にチームはJ2へ降格)。 国内大会個人成績
来歴
エピソード
プロの鑑、最高の手本であると、かつて湘南に所属したグラントは述べている。
ポルトガル語が得意で、湘南在籍のブラジル人選手とはポルトガル語でコミュニケーションが取れる。ホーム平塚競技場の試合前選手紹介では、「加藤“ガロッチーニョ”望!」とコールされていた。
父は地元仙台の高校でレスリングを教えている。
所属クラブ
東北学院中学校
東北学院高等学校
東海大学
1992年 - 2004年 日立製作所 / 柏レイソル
2005年 - 2008年 湘南ベルマーレ
個人成績
年度クラブ背番号リーグ リーグ戦リーグ杯オープン杯 期間通算
出場得点出場得点出場得点 出場得点
日本リーグ戦 リーグ杯天皇杯期間通算
1992日立26旧J130--30
1993柏70000070
199423旧JFL2661000276
1995-J468-20488
1996278142204310
1997113248131436
199834846214015
1999J130982404211
20002922022334
20012244210276
20021836000243
20031002010130
2004702010100
2005湘南24J2419-10429
2006426-20446
20074710-104810
2008405-10415
通算日本J125546501318432363
日本J217030-5017530
日本旧JFL3361000346
総通算45882511323453299
J1初出場 - 1995年3月18日 1st第1節 清水エスパルス戦(静岡県草薙総合運動場陸上競技場)