この項目では、俳優について説明しています。社会学者については「加藤剛 (東南アジア研究者)」をご覧ください。
かとう ごう
加藤 剛
主婦と生活社『主婦と生活』第19巻19号(1964年)より
本名加藤 剛(かとう たけし)
生年月日 (1938-02-04) 1938年2月4日
没年月日 (2018-06-18) 2018年6月18日(80歳没)
出生地 日本 静岡県榛原郡白羽村(現・御前崎市)
死没地 日本 東京都
国籍 日本
身長173 cm
職業俳優
ジャンル映画・テレビドラマ・演劇
活動期間1962年 - 2018年
活動内容1962年:デビュー
1970年:『大岡越前』
1973年:『剣客商売』
1974年:『砂の器』
1976年:『風と雲と虹と』
1979年:『陽はまた昇る』
2001年:紫綬褒章
2008年:旭日小綬章
2009年:『坂の上の雲』
配偶者伊藤牧子
著名な家族夏原諒(長男)・加藤頼(次男)
所属劇団俳優座
主な作品
映画
『上意討ち 拝領妻始末』
『砂の器』
『夜叉ヶ池』(1979年)テレビドラマ
『孤独のメス』/『大岡越前』
『風と雲と虹と』/『陽はまた昇る』
『蒼き狼 成吉思汗の生涯』/『ちょっと神様』
『関ヶ原』
受賞
紫綬褒章
2001年 旭日小綬章
2008年
テンプレートを表示
加藤 剛(かとう ごう、1938年〈昭和13年〉2月4日[1] - 2018年〈平成30年〉6月18日[2])は、日本の俳優[1]。本名:加藤 剛(かとう たけし)[3]。身長173cm[4]。体重70kg[1]。俳優座所属[4]。
2001年、紫綬褒章受章。2008年、旭日小綬章受章[4]。
来歴
出生から学生時代までは小学校の校長[5]。姉四人と兄、弟がいる[6]。俳優のうえだ峻とは叔父・甥の間柄で、うえだの母は自身の姉にあたる。父親が校長というのはプレッシャーにはならなかった[7]。父・鉉一郎は剛を医者にしたかった[8]。
加藤家は古くからの地主で、農地改革で大半を失ったとはいえ自宅の敷地は八百坪近く、敷地に続くすぐ裏に持ち山があり[6]、庭にはたくさん木があった[6]。いわゆる腕白少年ではなく、よく母の台所仕事を手伝い[7]、畑仕事もした[7]。自作するだけの畑はあったため、サツマイモや麦を交代で作っていた[7]。
剛は御前崎の遠州灘に続く茶畑のある風景の中で育ち、中学三年の時に地元を離れた[9]。戦争未亡人となり美容室を開いていた文京区の長姉宅に寄宿した[9]。
もともと俳優になろうと思っていたわけではなく、「何か演劇や映画に関係する仕事ができればいいかな」と思っていた[9]。小石川高校の時、柔道部に入っていたが先輩が演劇もやっており「お前も手伝え」と命じられ舞台に立ったのがきっかけだった[10]。
東京都立小石川高等学校を経て、早稲田大学第二文学部演劇科で学ぶ[9]。学内の劇団、自由舞台で活躍する[9]。
俳優としてテレビドラマ『人間の條件』の放映終了(1963年4月1日)直後、週刊誌で特集される。主婦と生活社『主婦と生活』第19巻19号(1964)より
大学4年の時、20倍の難関を突破して俳優座養成所に入る[10]。
1962年10月1日放映開始のテレビドラマ『人間の條件』(TBS、全26話)で主人公の梶役に抜擢された。出演のため1年「休学」。同作品では「ぼくという裸身の素材にこの男(主人公の梶)の一生を忠実に刻み込んでゆくこと」で演じきり、原作者の五味川純平より「テレビ映画の優れた主演者」と評された[11]。後、13期生として修了。修了時の同級生には石立鉄男・佐藤友美・細川俊之・横内正らがいる。27歳で正月公演で安部公房作『お前にも罪がある』で「男」を演じ、演出上傾いた舞台装置「男の部屋」上で2時間の連続演技を行う主役に抜擢[12]。
同期の横内正は、養成所で加藤と初めて会った際、その美男子ぶりに驚いたといい「欠点のない男。こんな二枚目がいるんじゃ、かなわないと思った」と振り返り、「(俳優座の先輩の)平幹二朗さんは、仲代達矢がいる限り劇団で上にいけない、と思ったように、僕も加藤剛がいる限り上にはあがれないだろう」と、横内が後に俳優座を退団する決意をするほど存在が大きかった。また、不思議な縁だが、加藤は「大岡越前」(TBS)を主演、横内は「暴れん坊将軍」(テレビ朝日)で同じ大岡役をレギュラー出演、「同じ役で“競演”しているつもりで演じていましたよ」と回想していた[13]。
1969年(昭和44年)12月26日(金曜日)、『週刊実話』に対し慰謝料などを求める訴訟を起こし、地裁に続き高裁でも勝訴[14]。