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加藤一二三 九段
文部科学省より公表された肖像
名前加藤一二三
生年月日 (1940-01-01) 1940年1月1日(84歳)
プロ入り年月日1954年8月1日(14歳)
引退年月日2017年6月20日(77歳)
棋士番号64
出身地福岡県嘉麻郡稲築村
(後の稲築町。現・嘉麻市)[1]
所属日本将棋連盟(関東)
師匠剱持松二九段
段位九段
棋士DB加藤一二三
加藤 一二三(かとう ひふみ、1940年〈昭和15年〉1月1日 - )は、日本の将棋棋士。
実力制6人目の名人。剱持松二九段門下(当初は南口繁一九段門下)。棋士番号は64。2017年6月20日に現役を引退した。福岡県嘉麻市出身、同市の名誉市民。仙台白百合女子大学客員教授(2017年6月23日 - )。勲等は旭日小綬章。文化功労者。
戦前生まれの名人経験者としては最後の存命者である。次女は仙台白百合女子大学学長の加藤美紀[2]。
「神武以来(じんむこのかた)の天才」[注釈 3][6][7][8][9] ・「1分将棋の神様」[10]の異名を持つ。
来歴2018年12月27日、大井競馬場での『ひふみんと高見叡王の東京大賞典大予想』[11]の収録にて
最高齢現役(2017年6月20日引退)、最高齢勝利、最高齢対局、現役勤続年数、通算対局数、通算敗戦数は歴代1位であり、1950年代・1960年代・1970年代・1980年代・1990年代・2000年代の各年代で順位戦最高峰A級に在籍したことがある唯一の棋士である[注釈 4]。14歳7か月で当時の史上最年少棋士(62年後の2016年に藤井聡太が更新)・史上初の中学生棋士となった。
順位戦デビュー(C級2組)からA級まで4年連続でのストレート昇級を果たし[注釈 5]、最年少A級昇級記録(18歳3か月)を保持している[13][14]。後に藤井聡太が更新した将棋界の最年少記録の多くは[注釈 6]、加藤がかつて有していた記録である[15]。しかし藤井も、加藤の「18歳3か月でA級昇級」の最年少記録については、プロデビューの時点で更新不可能であった[16][注釈 7]。加藤は2016年10月にプロデビュー直後の藤井と対談したが[18][注釈 8]、加藤がそのことを話すと[6]、藤井はその場で指を折って年数を数えてから頷いたとのこと[6]。
19世紀・20世紀・21世紀の3つの世紀に生まれた棋士と公式戦で対局した、史上唯一の棋士でもある[注釈 9]。
また、加藤の引退時点において、加藤自らを除く、全ての実力制名人と対局経験がある[20][注釈 10][注釈 11]。
大山康晴十五世名人、中原誠十六世名人、米長邦雄永世棋聖を相手に、それぞれ100回以上対局している(百番指し)。 1940年1月1日、福岡県嘉穂郡稲築村(現・嘉麻市)で生まれた。カトリック信者であり、1986年にローマ教皇庁から聖シルベストロ教皇騎士団勲章を受章している[24]。紫綬褒章(2000年春[24])[25]。嘉麻市名誉市民(2016年)[26][27]。旭日小綬章(2018年春[28])[29]。 京都府立木津高等学校卒業[21][30][31]、早稲田大学第二文学部中退[26][32]。
人物