加茂町_(京都府)
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かもちょう
加茂町
海住山寺


加茂町旗加茂町章

廃止日2007年3月12日
廃止理由新設合併
山城町木津町、加茂町→木津川市
現在の自治体木津川市
廃止時点のデータ
日本
地方近畿地方
都道府県京都府
相楽郡
市町村コード26363-0
面積36.97 km2
総人口15,483人
推計人口、2007年3月1日)
隣接自治体相楽郡山城町木津町
笠置町和束町
奈良県奈良市
町の木クロマツ
町の花アジサイ
加茂町役場
所在地619-1195
京都府相楽郡加茂町大字里小字南古田156番地

外部リンク加茂町 (Internet Archive)
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯34度45分07秒 東経135度51分59秒 / 北緯34.75197度 東経135.86644度 / 34.75197; 135.86644 (加茂町)座標: 北緯34度45分07秒 東経135度51分59秒 / 北緯34.75197度 東経135.86644度 / 34.75197; 135.86644 (加茂町)

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加茂町(かもちょう)は、京都府相楽郡にあったである。2007年3月12日山城町木津町と合併し木津川市となった。ただし、合併後も「加茂町」は市内の町名として残っている。

奈良時代の一時期、恭仁京)が置かれたという歴史があり、多数の史跡・文化財を有する。日本最初の流通貨幣「和同開珎」が造られた地でもある。

「文化が薫る暮らしよい町」を町の標語に掲げていた。特産品は、壁紙、襖紙椎茸
地理木津川(恭仁大橋から西を望む)

河川

木津川



北山(標高476.5m)

歴史

承平年間(931年 - 938年)の辞書、『和名類聚抄』に相楽郡七郷の一つ「賀茂郷」としてあらわれる。その名の由来は賀茂県主氏の居住地であったことにちなむ。加茂の字に改められたのは江戸中期の正徳年間に大洪水が起こり、その復興の際であったことが常念寺の什物記録に見える。中世には東大寺興福寺荘園となり、江戸時代には兎並(苧並)・里・大野・高田・北・観音寺の6か村(のちに兎並から南が分村して7か村)の広域地名として加茂郷の名が確認でき(「享保村名帳」)、いずれも伊勢津藩領であった。江戸期は木津川の水運が発達し、伊賀街道と信楽街道の交差する交通の要衝として栄えた。明治22年の町村制施行により9村合併し加茂村が発足。[1]
沿革

729年天平元年) - 聖武天皇の勅願により岩船寺創建。

735年(天平7年) - 聖武天皇の勅願により海住山寺創建。

740年(天平12年) - 聖武天皇による恭仁京遷都。

744年(天平16年) - 難波宮に遷都され、恭仁宮跡は山城国分寺となる。

1047年永承2年) - 浄瑠璃寺創建。

1889年明治22年)4月1日 - 相楽郡里村、高田村、法華寺野村、大野村、観音寺村、美浪村、銭司村、兎並村、北村が合併して加茂村が発足。

1928年昭和3年) 2月11日 - 町制施行。

1951年(昭和26年)4月1日 - 相楽郡当尾村(とうのおむら)、瓶原村(みかのはらむら)を編入。

2007年平成19年)3月12日 - 山城町、木津町との合併により木津川市が発足。

行政

町長:難波久士(なんばひさし)(
2003年5月就任)

教育
文化施設

加茂町文化センター
(あじさいホール)

中学校


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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