加治屋町_(鹿児島市)
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加治屋町
町丁
維新ふるさと館甲突川
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯31度35分08秒 東経130度33分04秒 / 北緯31.58542度 東経130.55114度 / 31.58542; 130.55114座標: 北緯31度35分08秒 東経130度33分04秒 / 北緯31.58542度 東経130.55114度 / 31.58542; 130.55114
日本
都道府県 鹿児島県
市町村 鹿児島市
地域中央地域
地区中央地区

人口情報(2020年(令和2年)4月1日現在)
 人口2,195 人
 世帯数1,365 世帯
設置日1889年(明治22年)4月1日
郵便番号892-0846
市外局番099
ナンバープレート鹿児島
町字ID[1]0023000
運輸局住所コード[2]46500-0305
ウィキポータル 日本の町・字
ウィキポータル 鹿児島県
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加治屋町(かじやちょう[3])は、鹿児島県鹿児島市[4]。旧薩摩国鹿児島郡鹿児島城下加治屋町。郵便番号は892-0846[5]。人口は2,195人、世帯数は1,365世帯(2020年4月1日現在)[6]。加治屋町の全域で住居表示を実施している[7][8]

江戸時代には鹿児島城城下町の一部を構成しており、下級武士の居住地となっていた[9]。江戸時代の末期から明治時代にかけて活躍した西郷隆盛大久保利通東郷平八郎大山巌山本権兵衛をはじめとする多数の著名人を輩出した地として知られており[10][11]、このことから歴史小説家の司馬遼太郎は加治屋町について「いわば、明治維新から日露戦争までを、一町内でやったようなものである。」と述べている[12]
概要

鹿児島市の中央部、甲突川下流域に位置している。町域の北方には西千石町、南方には甲突川を挟んで上之園町及び高麗町、東方には山之口町及び樋之口町、西方には甲突川を挟んで中央町がそれぞれ隣接している。

東端を南北に鹿児島県道20号鹿児島加世田線が南北に通り、北端を鹿児島県道21号鹿児島中央停車場線が東西に通っている。両道路共に鹿児島市電が通っており、北東端には高見馬場電停、北西端には加治屋町電停、南東端には甲東中学校前電停(2015年4月30日までは市立病院前電停)が所在している。

町域の中央部には鹿児島県立鹿児島中央高等学校が所在し、同校内に東郷平八郎生誕記念碑、篠原国幹、村田新八誕生地など、多くの史跡碑が設けられている。

甲突川河畔には維新ふるさと館が所在し、加治屋町を発祥とした日本近代史の歴史考察と展示を行っている[13]。同町の南端部には2015年4月30日まで鹿児島市立病院が所在していたが、上荒田町日本たばこ産業旧鹿児島工場跡地に移転した[14]
町名の由来

加治屋町という町名の由来には次の説がある。

鶴丸城が築城された
慶長7年以降に加治木(現在の姶良市加治木地域)に居住していた家臣がこの付近に鶴丸城が築城されたことにより移転しており、加治木が訛って加治屋と言われるようになったという説[15]

鍛冶屋職がこの付近に多数居住していたことに由来して鍛治屋町と呼ばれていたのが訛って加治屋町と呼ばれるようになったという説[16]

河川

甲突川町域の東南端部を流れる二級河川。町域内の甲突川左岸には維新ふるさと館などの歴史に関する施設や幕末をイメージし、武家屋敷などが再現された散策路として維新ふるさとの道が整備されている[17]

地価

2015年(平成27年)1月1日公示地価によれば、下記の加治屋町の商業地における地価は次の通りである[18]
国土交通省


加治屋町12番16外(鹿児島5-24):57万4,000円/m2

歴史
江戸時代から明治時代初期の加治屋町西郷隆盛生誕地付近

江戸時代の加治屋町は薩摩国鹿児島郡鹿児島城下のうちであった[4]

周辺には鹿児島城下の武士屋敷が多くあり、城下町内では鶴丸城から遠い位置にあったことから、主に小姓与(おこしょうぐみ)と呼ばれる城下士の中でも下級にあたる武士の居住地であった[9]


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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