かどの ごろう
加戸野 五郎
本名石田 民五郎 (いしだ たみごろう)
生年月日1913年
没年月日不詳年
出生地 日本 秋田県
職業映画監督
ジャンル映画
活動期間1938年 - 1964年
活動内容1938年 東宝映画
1947年 新東宝設立に参加
1948年 チーフ助監督
1950年 監督に抜擢
1955年 本格的に監督昇進
1961年 新東宝倒産
配偶者橘美千子
加戸野 五郎(かどの ごろう、1913年 - 没年不詳)は、日本の映画監督である。本名石田 民五郎(いしだ たみごろう)。 1913年(大正2年)、秋田県に生まれる。兄に映画監督の石田民三(1901年 - 1972年)がいる。 1937年(昭和12年)9月10日に設立された東宝映画に入社、1938年(昭和13年)には、並木鏡太郎監督の『長曽禰虎徹
目次
1 人物・来歴
2 フィルモグラフィ
2.1 東宝映画
2.2 新東宝
3 註
4 外部リンク
人物・来歴
第二次世界大戦後、1947年(昭和22年)、東宝争議からスピンアウトして設立された新東宝の設立に参加、演出部に所属し、市川崑に師事した。翌1948年(昭和23年)、チーフ助監督に昇進、1950年(昭和25年)には、『青春デカメロン』で監督に抜擢された。
1955年(昭和30年)、本格的に監督昇進し、『長脇差大名』を監督した。1957年(昭和32年)、8本目の監督作『続・若君漫遊記 金比羅利生剣』の撮影中に、町娘役の女優前田通子(当時23歳)に対し、二階の階段の上で裾をまくれと演出をし、拒否される。同件はもつれにもつれ、人権擁護局から新東宝に謝罪命令が下るに至る。
新東宝で20本を監督したが、同社が1961年(昭和36年)の5月には製作を停止し、8月末には倒産した。
新東宝の倒産後は、1964年(昭和39年)に三協が製作した、扇町京子主演の初期のピンク映画『覗かれた個室』を監督した以降の記録が不明である。 ウィキメディア・コモンズには、加戸野五郎
フィルモグラフィ
東宝映画
『長曽禰虎徹』 : 監督並木鏡太郎、東宝映画京都撮影所、1938年 - 演出補助
『金語楼の親爺三重奏』 : 監督小国英雄、東宝映画東京撮影所、1939年 - 製作主任
『嵐に咲く花』 : 監督萩原遼、東宝映画京都撮影所、1940年 - 製作主任
新東宝
『花ひらく 眞知子より』 : 監督市川崑、1948年 - 助監督?
『生きている画像』 : 監督千葉泰樹、1948年 - 助監督
『人間模様』 : 監督市川崑、1949年 - 助監督
『銀座三四郎』 : 監督市川崑、新東宝 / 青柳プロダクション、1950年 - 助監督
『熱泥地』 : 監督市川崑、1950年 - 助監督
『青春デカメロン』 : 1950年 - 監督
『盗まれた恋』 : 監督市川崑、新東宝 / 青柳プロダクション、1951年 - 助監督?
『明治一代女』 : 監督伊藤大輔、1955年 - 助監督
『長脇差大名』 : 1955年
『身代り紋三 地獄屋敷』 : 1955年
『銀蛇の岩屋 前後篇』 : 1956年
『続銀蛇の岩屋 完結篇』 : 1956年
『若君漫遊記 伏見稲荷の大仇討』 : 1957年
『怪談本所七不思議』 : 1957年
『続・若君漫遊記 金比羅利生剣』 : 1957年
『人形佐七捕物帖 花嫁殺人魔』 : 1957年
『色競べ五人女』 : 1958年
『朱桜判官』 : 1958年
『怪談乳房榎』 : 1958年
『毒蛇のお蘭』 : 1958年
『剣姫千人城』 : 1959年
『隠密変化』 : 1959年
『日本ロマンス旅行』 : 1959年
『若君漫遊日本晴れ 善光寺黄金道中』 : 1959年
『競艶お役者変化』 : 1960年
『御存知黒田ぶし 決戦黒田城』 : 1960年
『怪談海女幽霊』 : 1960年
『恋愛ズバリ講座 第三話 好色』 : 監督石井輝男、1961年 - 構成
『覗かれた個室』 : 三協、1964年
註
外部リンク
Goro Kadono - インターネット・ムービー・データベース(英語)
⇒加戸野五郎 - 日本映画データベース
更新日時:2014年9月10日(水)09:13
取得日時:2019/01/06 12:27