この項目では、東京都の地名について説明しています。韓国の郡については「加平郡」をご覧ください。
.mw-parser-output .pathnavbox{clear:both;border:1px outset #eef;padding:0.3em 0.6em;margin:0 0 0.5em 0;background-color:#eef;font-size:90%}.mw-parser-output .pathnavbox ul{list-style:none none;margin-top:0;margin-bottom:0}.mw-parser-output .pathnavbox>ul{margin:0}.mw-parser-output .pathnavbox ul li{margin:0}日本 > 東京都 > 足立区 > 加平
加平
町丁
加平(かへい)は、東京都足立区の町名。現行行政地名は加平一丁目から三丁目。住居表示実施済み区域である。 隣接する地域は、北は北加平町、東は谷中、南は綾瀬、西は綾瀬川を挟んで六町、西加平および青井。綾瀬川東岸の地域南部にあり、環七通りが地区中央を東西に横切っている。加平一丁目にはその外観が特徴的な第一加平出入口がとぐろを巻いており、周辺には多数の商業店舗やマンションが立ち並ぶ。環七通り北側の二・三丁目には、土地区画整理事業の際に整備された公園が多く点在する。総じて、加平地区には高層マンションや駐車場、流通関係企業が多くあることが地域の特徴である。 汎称地名としての「加平」は、加平一丁目から三丁目のみならず、隣接する「北加平町」と「西加平」を含む。これらの地域はかつて、嘉兵衛新田と呼ばれる一つの農村を形成していた。だが江戸時代に綾瀬川が開削されて嘉兵衛新田は地理的に東西に分断され、1932年(昭和7年)、足立区の成立に伴い綾瀬川の東側が東加平町、西側が西加平町となり、さらに後に東加平町は加平と北加平町とに分割された。本項においては加平一から三丁目を中心に、西加平および北加平町についても記載する。 住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、加平1-17-22の地点で37万7000円/m2となっている[5]。 上述のように、加平地域はかつて嘉兵衛新田という農村であった。嘉兵衛とはこの地を開拓した伊藤嘉兵衛の名にちなんだものである[6]。その後の1932年(昭和7年)に足立区制が施行された際の町名変更で嘉兵衛は「加平」と改称し、綾瀬川以東を東加平町 加平は江戸時代の嘉兵衛新田の東川端・菖蒲沼・井堀添の三つの字を基礎として成立した。嘉兵衛新田が開かれる以前のこの地域は「ヤムラ」と呼ばれていたという。ヤムラは谷村とも八村とも書かれていたが、開拓前のこの地域は低湿地帯であり、「谷」とはそこから付けられた名であることが多いようである。また周辺にハッ村落用水路 2024年(令和6年)4月1日現在(足立区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。 丁目世帯数人口 国勢調査による人口の推移。 人口推移年人口
地理
広義の加平
地価
地名由来
歴史
世帯数と人口
加平一丁目1,692世帯2,936人
加平二丁目1,006世帯1,715人
加平三丁目1,239世帯2,185人
計3,937世帯6,836人
人口の変遷
1995年(平成7年)[7]4,562
2000年(平成12年)[8]5,256
2005年(平成17年)[9]5,530
2010年(平成22年)[10]6,293
Size:37 KB
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
担当:undef