加子母村
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かしもむら
加子母村
加子母の大杉

加子母村旗加子母村章
加子母村旗加子母村章

廃止日2005年2月13日
廃止理由編入合併
坂下町川上村、加子母村、付知町福岡町蛭川村山口村中津川市
現在の自治体中津川市
廃止時点のデータ
日本
地方中部地方東海地方
都道府県岐阜県
恵那郡
市町村コード21563-5
面積114.16 km2.
総人口3,338人
(2005年2月1日)
隣接自治体下呂市付知町白川町東白川村
長野県 王滝村大桑村
村の木ヒノキ
村の花ササユリ
加子母村役場
所在地508-0494
岐阜県恵那郡加子母村中切3519-2
外部リンク ⇒ようこそ 加子母 ホームページへ
座標.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度42分54秒 東経137度22分16秒 / 北緯35.715度 東経137.3711度 / 35.715; 137.3711座標: 北緯35度42分54秒 東経137度22分16秒 / 北緯35.715度 東経137.3711度 / 35.715; 137.3711

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乙女渓谷のニノ谷の碧水湖(めんぱ淵)道の駅加子母

加子母村(かしもむら)は、岐阜県恵那郡にあった東濃ひのきの主産地として知られる。2005年2月13日中津川市に編入され「中津川市加子母」となった。
大字・小字[ソースを編集]
大字[ソースを編集]

* 加子母(かしも)
小字[ソースを編集]
あ行[ソースを編集]

浅島(あざじま)、泡良(あわら)

飯島(いいじま)、井垣戸(いがいと)、池田(いけだ)、池ノ上(いけのうえ)、池ノ森(いけのもり)、石飛(いしとび)、井尻(いじり)、稲場(いなば)、井上(いのうえ)、猪ノ谷(いのたに)、岩泉(いわいずみ)、岩倉(いわくら)、岩田(いわた)、岩野(いわの)、岩屋(いわや)

上垣戸(うえのかいど)上平(うえのだいら)、上垣(うわがき)上ハ田ンボ(うわたんぼ)、梅ノ木(うめのき)

尾岩(おいわ)、太田(おおた)、大沼(おおぬま)、起シ(おこし)、起垣戸(おこしがいと)、起畑(おこしばた)、起野(おこしの)、小郷東(おごひがし)、小郷西(おごにし)、尾城(おしろ)、落田(おちだ)、尾山(おやま)、小和知東(おわちひがし)、小和知西(おわちにし)、小和知野(おわちの)

か行[ソースを編集]

角領東(かくりょうひがし)、角領西(かくりょうにし)、籠薮(かごやぶ)、鍛冶屋田(かじやだ)、金本(かねもと)、鎌井野(かまいの)、上小郷西(かみおごにし)、上下島(かみしたじま)、亀屋(かめや)、川向(かわむかい)、神田(かんだ)、神田向(かんだむかい)、神ノ木(かんのき)

木曽越(きそごえ)、北垣戸(きたがいと)、北桑原(きたくわばら)

郡上島(ぐじょうじま)、桑名屋(くわなや)、桑原(くわばら)

小島(こじま)、小瀬(こせ)、小平(こだいら)、小立(こだて)、五斗蒔(ごとうまき)、小松屋(こまつや)、米野(こめの)

さ行[ソースを編集]

坂本(さかもと)、酒屋(さかや)、桜ノ木(さくらのき)、差出(さしで)

下島(したじま)、下吉本(したよしもと)、島(しま)、清水(しみず)、下小郷西(しもおごにし)、下モ木戸(しもきど)、下中島(しもなかじま)、下番田(しもばんだ)、下モ屋(しもや)、正外野(しょうがいの)、正元(しょうげん)、白谷(しらたに)

杉ヶ平(すぎがひら)、炭焼渡(すみやきど)、砂場(すなば)、角田(すみだ)、須母田(すもだ)

外谷(そでだに)

た行[ソースを編集]

高ボタ(たかぼた)、高屋(たかや)、田口前(たぐちまえ)、竹ノ越(たけのこし)、田尻(たじり)、谷向(たにむかい)、田ノ上(たのうえ)、田ノ頭(たのかしら)、田ノ尻(たのしり)、多谷(たや)

辻(つじ)、辻屋(つじや)

渡合(どあい)、堂垣戸(どうがいと)、栃本(とちもと)、渡場(どば)、豊島(とよしま)、鳥洞(とりぼら)

な行[ソースを編集]

中下(なかした)、中島(なかじま)、長島(ながしま)、中筋(なかすじ)、中畑(なかばた)、中屋(なかや)、中山(なかやま)、薙野(なぎの)、生湯(なまゆ)

西(にし)、西桑原(にしくわばら)、西下モ屋(にししもや)、西ノ上(にしのうえ)、西股入(にしまたいり)、西万賀(にしまんが)

祢宣屋(ねぎや)

野尻(のじり)、野中(のなか)

は行[ソースを編集]

八幡(はちまん)、花ノ木(はなのき)、林垣戸(はやしがいと)、万才池(ばんじやけ)、板ノ木(はんのき)

東桑原(ひがしくわばら)、東本谷(ひがしほんたに)、東万賀(ひがしまんが)、平垣戸(ひらがいど)、平田(ひらた)、廣野(ひろの)

福崎(ふくさき)、藤井(ふじい)、藤ノ木(ふじのき)、二渡東(ふたわたりひがし)、二渡西(ふたわたりにし)、古薙(ふるなぎ)

洞(ほら)、堀田(ほりた)

ま行[ソースを編集]

牧(まき)、牧戸(まきど)、桝田(ますだ)、松ノ木瀬(まつのきぜ)

三浦(みうれ)、三沢(みさわ)、溝畑(みぞばた)、南桑原(みなみくわばら)、宮下(みやした)、宮脇(みやわき)、宮下脇(みやしたわき)、宮洞(みやぼら)

向(むかい)、向畑(むかえばた)、村上(むらかみ)

森(もり)、森泉(もりいずみ)、森ノ外(もりのそで)、諸田(もろた)、室屋(もろや)

や行[ソースを編集]

山木戸(やまきど)、山下(やました)、柳平(やなぎだいら)

横井(よこい)、吉金(よしがね)、吉田(よしだ)、吉本(よしもと)、吉原(よしはら)、寄木(よりき)

過去に存在した小字[ソースを編集]

狐塚(きつねづか)

地理[ソースを編集]

岐阜県の東部、長野県との県境に位置し、木曽川水系白川沿いにある山間の村。

村の北東部に連なる標高1,500mを超える阿寺山地と、西部に広がる東美濃高原に挟まれた南北に長い間地が村の中心であり、白川(通称・加子母川)が流れている。加子母川の流路を規定し阿寺山地を隆起させた活断層である阿寺断層が村の中心を通っている。

村域の94%を山林が占め、東濃ひのきの主産地として有名である。村の東部は国有林である。

山:尾城山、高時山、高樽山、唐塩山、小秀山三国山

河川:白川

隣接していた自治体[ソースを編集]

下呂市

恵那郡付知町

加茂郡東白川村白川町

長野県木曽郡王滝村大桑村

歴史[ソースを編集]

平安時代 小郷・小和知に家や田畑ができ始め、小郷に大杉地蔵がまつられる。

鎌倉時代初期 源頼朝の命により文覚上人帳(永雅上人との説もある)が飛騨側の御厩野[1]天台宗の鳳慈尾山大威徳寺を建立し、その中の多聞坊が小郷の舞台峠下にあった。小郷・小和知は、大威徳寺の領域として飛騨国益田郡に属していた。

永正元年(1504年)7月 飛騨国の豪族三木重頼木曽氏攻略の際に数百の兵とともに白巣峠(加子母と木曽郡王滝村の境)を越えた。

永禄12年(1569年苗木城主の遠山直廉三木顕綱攻略のため飛騨の竹原へ侵攻した際、三木氏が立て籠もっていた大威徳寺を焼く。(大威徳寺の戦い)。

天正13年(1585年天正地震が発生。大威徳寺が壊滅する。

天正17年(1589年太閤検地により、加子母村は1,189石5升とされた。

江戸時代尾張藩領となる。

元和元年(1615年)の「美濃国之内郷帳」に加茂郡加志母村、元和二年(1616年)の「美濃国村高御領地改帳」にも加茂郡加志母村の記述がある。恵那郡沿革考の一「加子母村の往古」に加子母は元は加茂郡なりと、然れども確証を得ず。


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