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かぢ けんたろう
加地 健太郎
本名清水 重男
生年月日 (1935-06-15) 1935年6月15日(88歳)
出生地 日本・東京府(現・東京都)
身長176 cm(1965年時点)[1]
血液型A型
ジャンル俳優
活動期間1957年[1] -
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加地 健太郎(かぢ けんたろう、1935年6月15日[2][3][1] - )は、東京府(現・東京都)出身の俳優[3][1]。劇団俳優座第8期生[2][3][1]、劇団民藝[2][3][1]、田中事務所を経て[3]、東京俳優生活協同組合に所属[2]。本名:清水 重男[2][1]。血液型はA型。
松本染升は義父にあたる。東京都立千歳高等学校卒業[3]。早稲田大学第一文学部哲学科を中退[1]、早大時代には雄弁会に所属しており青木幹雄と同期であり親友でもある[3]。 シャンソン歌手の仲代圭吾は高校の同級生で親友[3]。圭吾の兄である仲代達矢から『七人の侍』の撮影現場の話を聞き、興味を持ったことが俳優になったきっかけのひとつとされる[3]。 劇団民藝と劇団俳優座の入所試験を受け、ともに合格していたが、仲代達矢がいることもあり俳優座の養成所に入所[3]。1957年の『りこうなお嫁さん』が初舞台[1]。 映画『第五福竜丸』が映像作品デビュー作となる[3]。同作品のスタッフから声をかけられ、教育映画『子鹿物語』に主演[3]。映画『らくがき黒板』の撮影中、宇野重吉から劇団民藝に誘われ、俳優座養成所卒業後[3]、1960年5月に劇団民藝に入団[4]。劇団の関連会社である民芸映画社の作品や日活の映画作品に出演[3]。 劇団民藝を退団後、田中事務所に所属し、悪役の仕事が増える[3]。特技は柔道(三段)[2]。
人物
出演
映画
第五福竜丸(1959年、近代映画協会) ※清水重雄名義での出演
らくがき黒板(1959年、近代映画協会)
人間(1962年、ATG) - ボースン
出撃(1964年、日活) - 多田少尉
鬼婆(1964年、近代映画協会) - 落武者B
春婦伝(1965年、日活)
悪党(1965年、東宝) - 六郎
太陽が大好き(1966年、日活) - 菊本
藪の中の黒猫(1968年、近代映画協会) - 輩下C
かげろう(1969年、松竹)
混血児リカ ひとりゆくさすらい旅(1973年、東宝) - 般若の辰
戦争を知らない子供たち(1973年、東宝) - 尾瀬教諭
戦争と人間 第三部 完結篇(1973年、日活) - 指揮官
東京湾炎上(1975年、東宝) - 新聞記者
ザ・カゲスター(1976年) - コウモリ怪人
地震列島(1980年、東宝) - 首相秘書官
仮面ライダースーパー1(1981年、東映) - 香坂健太郎(マタギの頭領)
連合艦隊(1981年、東宝) - 大前先任参謀
小説吉田学校(1983年、東宝)※ノンクレジット
客途秋恨(1990年、香港映画) - 葵子の兄
午後の遺言状(1995年、日本ヘラルド映画) - 警官
踊る大捜査線 THE MOVIE(1998年、東宝) - 内閣情報調査室長
三文役者(2000年、東京テアトル) - かいば屋の主人
劇場版 仮面ライダーアギト PROJECT G4(2001年、東映) - 警視庁幹部
ふくろう(2004年、近代映画協会) - ダム所長