かぢ りんぞう
加地 倫三
生誕 (1969-03-13) 1969年3月13日(55歳)
日本・神奈川県横浜市
出身校上智大学外国語学部ポルトガル語学科卒業
職業テレビプロデューサー、ディレクター、演出家
活動期間1992年 -
雇用者テレビ朝日役員待遇ビジネスソリューション本部コンテンツ編成局制作1部
エグゼクティブプロデューサー
ゼネラルプロデューサー
演出家
テレビ番組『アメトーーク!』
『ロンドンハーツ』
公式サイトhttps://www.tv-asahi.co.jp
加地 倫三(かぢ りんぞう、Rinzo Kadi、1969年3月13日 - )[1][2]は、日本の演出家、テレビプロデューサー。テレビ朝日役員待遇ビジネスソリューション本部コンテンツ編成局制作1部所属のエグゼクティブ・プロデューサーとして、『アメトーーク!』『ロンドンハーツ』などのプロデュースや演出を担当している。 神奈川県横浜市出身。神奈川県立港北高等学校[3]、上智大学外国語学部[4]卒業。高校の同期生に女優の富田靖子がいる[3][5][6]。1992年に上智大学からテレビ朝日へ新卒入社しスポーツ局配属となる。以後4年間はスポーツ番組担当として『ワールドプロレスリング』ディレクター、『全日本大学駅伝大会』総合演出等を経験した[7]。 1996年からは編成制作局に異動してバラエティ番組の制作に携わる。バラエティでのADからディレクター時代にかけては『Q99』や『ナイナイナ』を手掛け、ナインティナインと深いかかわりを持つ。その後『ナイナイナ』のプロデューサーであった板橋順二が『ロンドンハーツ』もプロデュースすることになり、板橋に引っ張られる形で『ロンハー』を担当することになった。当初、別の大型バラエティ番組と『ロンハー』とで加地のドラフトが行われたが、平城隆司(現取締役編成制作局長)が間に入り、加地本人にその選択を任せたという[8]。 2003年には『アメトーーク!』を放送開始。『ロンハー』がスタッフとして呼ばれたものであるのに対し、『アメトーーク!』は自ら立ち上げを担当した最初のレギュラー番組となる[9]。 近年では『ロンハー』にて出川哲朗のプロポーズや青木さやかの恋人企画などを演出、『アメトーーク!』では従来になかったマニアックな切り口を浸透させた。近年好調なテレビ朝日の旗手であり、日本のバラエティ番組をけん引する存在である、と評される[10][11][12]。早河洋代表取締役会長からの信頼も厚く、「彼には好きにやらせてあげなさい」というバックアップがついているという[13]。 2010年7月からはゼネラルプロデューサーに昇格。ただし昇格後も『ロンハー』や『アメトーーク』など一部の担当番組ではスタッフロール上"ゼネラルプロデューサー"と表記されていなかったが、2014年4月からは全ての担当番組で"ゼネラルプロデューサー"と表記されている。 2018年7月よりエグゼクティブプロデューサーに昇格。 2021年7月後半からは自身が担当する全ての番組において、小島健嗣Pまたは藤城剛Pをゼネラルプロデューサーに昇格させ、制作統括業務を分担する体制に移行している。 とんねるずの大ファンであったり、関根勤のラジオ番組にも投稿をしていた元ハガキ職人でもある。大橋未歩アナウンサー(元テレビ東京)のファンでもあり、『雨上がり決死隊べしゃりブリンッ!』の『アメトーーク!とコラボレーーション』の回で『大橋アナ大好き芸人』が提案された時は「大好き」と発言している。 手法は、小学生のとき見ていた『THE MANZAI』(フジテレビ)に影響される。プロレスから「(起こっていることを的確に伝える)瞬発力、反射神経」を学んだと語り、それは演出・プロデューサーを務める『ロンドンハーツ』などのドッキリ企画で思わぬ方向に進んだときの迅速な判断、ジャッジする力に活かされているという[14]。『ロンドンハーツ』は日本PTA全国協議会が選ぶ「子供に見せたくない番組」で連続して1位になっているが、加地は「逆に個性がないと1位になれませんから。2位とか3位が1番よくないと思います」と語っている[14]。『アメトーーク!』を真似した番組が増えていることに、「流行に飛びつくばかりじゃなく、自ら考えていかないと業界が駄目になる」という危機感から苛立ちを感じると述べている[15]。テレビ朝日で脅威に感じる若手スタッフはいないが、佐久間宣行(『ゴッドタン』(テレビ東京)のP/Dなどを担当)は気になるという[15]。なお佐久間とは交友関係も持っており、佐久間曰く「尊敬する先輩です。お会いするとお笑いの話が沢山できるので飲みすぎてしまいます」と語っている[16]。 スポーツ局からバラエティの編成制作局に異動した頃、スポーツ局時代に、取材するスポーツ選手にグイグイ話し掛けて距離を詰めて仲良くなっていった経験から、まだADで信頼関係も無いのに矢部浩之(ナインティナイン)に同じ感覚で接してしまい、矢部に「自分何でそんな話し掛けるん?」と言われてしまう。スポーツ局時代にやっていた事がバラエティでは通じない事を知り、そこから矢部に話し掛けず、以降は黙々と仕事をする様になる。後に番組でいじられるなどして矢部と仲良くなり、矢部・ディレクターになった加地・カメラマンの辻稔、当時加地と同じディレクターの朝倉健、もう1人のディレクターの5人の「矢部会」の初期メンバーとして、収録終わりに飲みに行ったりカラオケに行ったりと深い親交を持つ様になる。なお、岡村隆史(ナインティナイン)は人見知りである事を知っており、更に「話し掛けんな」オーラを出していたため、最初から話し掛けなかった。 自ら「ゼロから何かを生み出すクリエイターではない」と語る。後輩にはいつも「俺は、天才肌じゃない。秀才タイプで、ただ努力したらここまで来れた。だから、誰でも努力すればこれくらいにはなれる。ガンバレ」と言い聞かせている[17]。また、「饅頭職人タイプ」であると例え、「ちゃんとやんないと気が済まないんです。それで儲けようとか、工場を広げていっぱい売ろうとかいう気はありません。視聴率を何%取ったということよりも、「今日、おもしろかった」「元気をもらいました」とBBSで書き込まれてるほうをどちらかというとめざしている気がします。」と『ほぼ日刊イトイ新聞』の糸井重里との対談の際に述べている[18]。 オリコンは加地を「加地氏の制作スタンスを見ていると現在では数少ない“昭和のテレビ屋”の香りが漂ってくる。」と評している[14]。ラリー遠田は加地が『アメトーーク!』において敢えて捨て企画を放送するところを「そこが彼の本当に恐ろしいところ。
来歴
人物