加々見山旧錦絵
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この項目では、義太夫節および人形浄瑠璃の演目のひとつである『加々見山旧錦絵』について説明しています。これをもとにした歌舞伎の演目『鏡山旧錦絵』については「鏡山旧錦絵」をご覧ください。

『加々見山旧錦絵』(かがみやまこきょうのにしきえ)とは、義太夫節および人形浄瑠璃の演目のひとつ。天明2年(1782年)1月、江戸外記座にて初演。全十一段(ただし実際には九段目まで)、容楊黛の作。この40年ほど前に加賀藩で起きた加賀騒動を題材としたもの。「局岩藤/中老尾上」(つぼねいわふじ/ちゅうろうおのえ)の角書きが付く。ただし現行の文楽では、『加賀見山旧錦絵』の外題で上演されている。
目次

1 あらすじ

1.1 初段

1.2 二段目

1.3 三段目

1.4 四段目

1.5 五段目

1.6 六段目

1.7 七段目

1.8 八段目

1.9 九段目


2 解説

3 『忠臣蔵』との関係

4 参考文献

5 関連項目

6 外部リンク

あらすじ
初段

(鹿狩の段)関東管領足利持氏が家臣や家来を引き連れ、相州金沢のあたりで狩をしていたところ、足軽の源蔵がわざと獲物の鹿を逃がしたことに一旦は不興を覚えるが、源蔵が理非を通して申し開きをするのに感心する。そこに京都の将軍家執事の細川頼之が訪れる。頼之は先年滅んだ赤松満祐の残党が各地に隠れ住み、事を起こそうという噂があるのでそれに気をつけるよう持氏に言い、さらに持氏の弟縫之介には頼之の娘操姫と婚姻させるのがかねてからの約束であり、操姫はすでに持氏のもとにいるので速やかにこの婚儀を進めるようにと述べた。持氏は婚儀と赤松の残党詮議について頼之に約束し、自らの館へと帰る。
二段目

(梅沢村茶店の段)鎌倉に程近い梅沢村では、源蔵の妻お来が茶店を営んでいる。お来と源蔵がその場をはずしている間、浪人の高木十内と娘のお初が通りかかるが、そのあとを鷲の善六が呼び止めた。じつは十内は以前具合を悪くしていた折、その薬料として五の金を善六から借りていた。その金を利息も合わせて十両をこの場で返せ、でなければ娘を連れてゆくという。しかしそんな持ち合わせの無い親子、進退に窮していると坂間伝兵衛という米商人があらわれ、十両の金を十内に貸す。十内がその金を善六に渡すと、善六はしぶしぶながらその場を去った。伝兵衛は十内たちの様子を見て、自分の娘が管領足利家の御殿に奥づとめをして中老となっており、お初も奥勤めが出来るよう計らおうという。十内とお初は涙を流して伝兵衛に礼を言い、双方はいったん別れてその場を去った。

源蔵が茶店に戻る。とさらにそこに来たのは、手越の廓の遊女道芝。じつは持氏の弟縫之介の婚儀が進まなかったのは、この道芝と深い馴染みになって別れられないからであった。道芝は縫之介との取持ちを源蔵に頼んでおり、最近縫之介が廓に来ないのはどうしたわけかと質しにきたのである。源蔵は、じつは縫之介にはかねてよりの許婚である操姫との婚儀が正式に決まったので来られないというと、道芝はびっくりして自分をすぐに足利の館につれて行けと迫る。お来も戻るが、道芝の顔を見て驚く。道芝は幼い頃に別れた実の妹であった。道芝も驚き、久しぶりの対面に互いにうれし涙をこぼす。源蔵は道芝に、縫之介とは必ず会わせると約束し廓まで送っていった。

お来が二人を見送ってほっとしたのもつかの間、多くの侍を従えた駕籠が茶店の前を通りかかる。それは管領持氏が忍びの途中であった。駕籠を降りてお来の入れた茶を飲んだ持氏は、お来のことが気に入り妾として館につれてゆこうとするが、すでに夫のいる身だと聞き、諦めきれずもいったんはそのまま帰った。

そこに帰ってきた源蔵、何を思ったかお来にいったん親里へ帰れという。そのわけをいわぬ源蔵の心中をいぶかるも、お来は持氏のことも考え、ここにいないほうがよかろうと、夫と別れて里に帰るのを承知するのだった。
三段目

(足利家広間の段)管領持氏は問注所で政務を取っている。源蔵のはからいにより小姓の姿に男装し、館に忍び込んだ道芝は目当ての縫之介と会うことが出来た。ところがそこへいいなづけの操姫が現れ、縫之介を取り合いとなる中に仁木将監が来て、道芝は自分が預かるといって縫之介と姫を奥へ下がらせた。持氏が現れ、道芝のことが露見する。源蔵がその場に呼ばれるが、源蔵は遊女が管領の館に出入りしたとあっては外聞に関わるので、小姓に変装させたという源蔵の申し開きを持氏は感心し許した。持氏の正室花の方からの使いとして、局の岩藤と中老の尾上が訪れる。持氏は岩藤、尾上、道芝を連れて奥へと入る。

ところがそのあと、持氏に気に入られた源蔵があっというまに大杉源蔵と名乗り家老となる大出世を遂げ、かわりに重臣の紙崎主膳が持氏に疎まれ、大小も取り上げられて館から追放されることになった。館を去ろうとする主膳を尾上が出てきて引き止め、一通の書状を差し出す。それはさきほど岩藤が懐中より落としたものだったが、どうやらこれはお家に仇なそうとする悪事の証拠らしい。主膳は家中の様子に気をつけるよう尾上に言い残し館を去った。

源蔵は道芝を逃がし、持氏を毒殺しようとする将監のたくらみを暴露するので将監はその場を逃げ出した。ところがさらに曲者があらわれ、縫之介と操姫を小脇に抱えさらってゆく。持氏はこの騒ぎに上屋敷へと移ろうとするが、源蔵は将監の手勢が待ち伏せしているかもしれないので、相模川に沿った近道を行くように勧め、持氏一行はそれに従い出立した。紙崎主膳の弟で、いまは浪人している畑介が館の騒動を聞き駆けつけてくる。源蔵は持氏の命を狙ったのは仁木将監であり、相模川へと逃げていったというので、畑介は相模川へと将監のあとを追った。

(相模川の段)時はすでに夜の暗闇、雨も激しく降っている。たいまつに照らされながら、持氏は騎馬で相模川を渡ろうとすると、何者ともしれぬ者たちが持氏めがけて切りかかってきた。供についていた家臣の和田左衛門は応戦するも、持氏は川に落ち、首を討たれる。なんとか持氏の体を川の中から引き上げたものの、それには首が無い。和田左衛門は持氏の死を当分隠すべきであるとし、首のない持氏の死骸を駕籠に乗せ館へと向かった。

そのあと、血刀を下げた者がそっと河原の草むらより現れ、手にした持氏の首を川の中に打ち込んで逃げ去る。
四段目

(野道の段)道芝の父親である眼兵衛は花売りをして暮らしている。眼兵衛は花を担いで花問屋に向かう道の途中、紙崎主膳とその家来雪平を見かけるが、主膳が縫之介とは縁を切ろうとしない道芝は、お家のためにはならぬゆえ殺さねばならぬというのを聞き、姿を現して親である自分が縫之介とは縁を切るように言い聞かせる、もしいうことを聞かねば自分が手にかけると主膳に願い出た。主膳はそれを聞き入れ、眼兵衛に刀を与えて雪平とともにその場を去った。

管領館から逃れてきた道芝はなおも縫之介のことを尋ねていたが、父親の眼兵衛に出くわす。眼兵衛は縫之介とは縁を切るように道芝を説得するが、道芝は聞き入れない。


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