力士
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この項目では、相撲大相撲)に参加する選手について説明しています。その他の用法については「力士 (曖昧さ回避)」をご覧ください。
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浮世絵に描かれた力士。猪名川政之助(最高位 関脇 1844年天保15年)[1])。歌川国芳の作品。

力士(りきし、ちからひと)とは、相撲を行う者のこと。厳密には、相撲部屋に所属して四股名を持ち、番付に関わらず大相撲に参加する選手の総称。力士は皆、日本相撲協会専従職員という扱いだが、一方で相撲協会と力士との間で結ばれている契約は「準委任契約(力士は個人事業主)」であるとする東京地裁の判例も存在する[2]。相撲取り(すもうとり)とも呼ばれる。しばしば関取(せきとり)と呼ばれることもあるが、元来は大関のことを指す異称であり、現代では中卒以上の義務教育修了・身長167cm以上・体重67kg以上の男性に受験資格が与えられる日本相撲協会による検査に合格した十両以上の力士のことを指す[3]

幕下以下の力士は力士養成員(りきしようせいいん)と呼ばれる。また、本来は神事に関わる者であるため、日常会話では親愛と尊敬をこめてお相撲さんとも呼ばれる。

わんぱく相撲大学の相撲などのアマチュア相撲で相撲を取る者は四股名を持たないため厳密には力士とはされず、選手と呼ばれる。
本来の意味力士の手形[注 1]

相撲はもともと神前で行われ、日本固有の宗教である神道にもとづき奉納される神事である。力士とは四股名を持ち、神託によって神の依り代になり特別な力(神通力)を備え、神からの御利益のある特別な者である。

具体的には四股を踏む「しこ」とは醜女(しこめ)の「しこ」をあらわし、穢れ、邪気を祓う行為。それによりその土地に五穀豊穣や無病息災をもたらすと言われている。また、力士に赤子を抱いてもらうと、その子は健やかに育つと言われている。手形などは縁起物として珍重される。力士の中で最高位の者を横綱と呼び、全ての力士の象徴として神の依り代の証である「注連縄(しめなわ)を張る」のは御神木夫婦岩などと同じである。
古代の力士のランク

最手



出で立ち大小のを佩刀し武士と同じ待遇であった力士[4]

実際に相撲を取る際には廻しだけを身につけ、足は素足、上半身裸で競技に臨む。髪の毛は伝統的に髷を結っており、番付によってその形が異なる。十両以上の力士は大銀杏を結い、幕下以下の力士は丁髷を結う。ただし、幕下以下の力士でも十両との取組がある場合や、弓取式を行う際には大銀杏を結うことができる。また、十両以上の力士は土俵入りの際には色とりどりの化粧廻しを身につける。

取組や稽古以外の場での服装は素材や種類こそ違えど、外出の際には全員着物を着ている。序ノ口序二段では浴衣のような簡素な着物だが、三段目から羽織の着用が許され、幕下から外套や襟巻も着用できるようになる。十両からは正装である紋付羽織袴の着用を許される。履き物も番付によって細かく規定されており、幕下以上は足袋の着用を許されたり、三段目以上は雪駄、それ以下は下駄を履くこととなっている。自分の部屋にいるときなどは洋服も着る。幕下以下の力士が所属部屋の内外でTシャツやジャージを着用している姿はよく報道される光景でもある。
力士の出身地

番付における出身地の表記は、江戸時代にはお抱え藩の藩名が記載されたが、明治からは旧国名となった。1934年5月場所からは序ノ口に至るまで個人別に明記するようになり、1948年5月場所場所からは都道府県名(外国出身力士は国名)に変わっている。ただ、本人の届けたところを表記しているので、必ずしも出生地とは限らない[5]

場内アナウンスでは都道府県名・国名(外国出身力士のみ)が呼び出されており、十両以上の取組時にはそれに加えて、市町村名、外国出身力士の場合は行政区画の地名も呼び出される。例外としてハワイ出身力士は「ハワイ」、十両以上の取組時にはそれに加えて、島の名前(例:オアフ島)が呼び出される。
待遇詳細は「大相撲#力士の報酬」を参照

江戸時代には関所を通行するには通行手形が必要だったが、力士はその大きく筋肉質な体つきから他の者が関所破りのために力士に変装するのは困難であるとされ、通行手形がなくとも通行することができた。力士の他に、通行手形がなくても通行できたのは旅の芸人だけであるが、芸を見せて関所の役人を納得させる必要があった。江戸幕府は1827年、大名抱えの力士は武士とするが、それ以外は浪人であるという見解を示した。召し抱えられた力士以外はすべて浪人とする解釈は多少強引ともいえたが、これにより農民や町人でも、力士になることにより武士・浪人身分を手に入れることができた。[6]
力士の体

2013年12月に慶應義塾大学スポーツ医学研究センターが当時の幕内力士25人を対象としてBOD PODによる測定を行った結果、平均身長186.3cm、平均体重161.2kg、平均体脂肪率32.5%、平均体脂肪量52.9kg、平均徐脂肪体重108.3kg、という数値が表れた。入門時と比較すると、変化の小さい力士でも20Kg、変化の大きい力士では70kg 以上の体重増加が見られた。中でもモンゴル出身の上位3人の力士(白鵬、日馬富士、鶴竜)は、入門時の体重が80kg 台だったのが、12 ?3 年かけて130 ?150kg 台まで増加し、その間に除脂肪体重が35 ?45kg も増加していた。このことから力士の体は筋肉をも伴った肥満体であると言える[7]

過去には暴飲暴食と土俵の稽古で体を作り上げていたが、千代の富士がケガの克服のためにウエイトトレーニングを取り入れたことを契機に徐々にトレーニング方法も近代化。2010年代には部屋稽古の後にジムで補完的なトレーニングを行う力士も現れている。栄養学的なバランスを考えた食事の普及など、故障しにくい体づくりが意識されるとともに医療技術も向上、2010年代以降は力士の現役寿命が延び始め、通算在位記録の上位がほとんど書き換えられる現象が起きている[8][9]

2019新型コロナウイルス感染拡大により勝武士幹士が死去した際には、勝武士が抱えていた糖尿病が死去の原因の1つとなったことから力士の不摂生の有無について取り沙汰されたが、時事通信の記者・若林哲治は「むしろ大酒飲みが減り、肝臓、膵臓、腎臓といった内臓の疾患やさらに昔のかっけなど力士の『職業病』は減ったように見える」との見解を示した[10]


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