劉 虎(りゅう こ、?音:Liu H?、? - 341年)は、中国五胡十六国時代の匈奴鉄弗部大人(たいじん:部族長)。別名は烏路孤。南匈奴の右賢王去卑の孫。唐代に編纂された『晋書』では、唐の高祖李淵の祖父李虎の諱を避け、劉武と記される。
曾孫の赫連勃勃から景皇帝と追尊されている。 誥升爰の子として生まれる。
生涯
318年、劉虎は朔方に拠り、代国西部に侵攻した。しかし代王の拓跋鬱律に大敗し、劉虎は敗走して塞を出た。この時、劉虎の従弟の劉路孤
は部落を率いて代国に帰順し、拓跋鬱律の娘を娶った。341年10月、劉虎は代国の西の国境に侵攻。代王の拓跋什翼?は軍を派遣し討伐、これを大破した。この後まもなく劉虎は死去し、子の劉務桓が立った。
参考資料
『魏書』(帝紀第一、列伝第八十三)
『晋書』(赫連勃勃載記)
『資治通鑑』(第八十七巻)
典拠管理データベース
全般
VIAF
国立図書館
⇒イスラエル