劉 恵端(劉 惠端、りゅう けいたん、? - 489年)は、南朝斉の明帝蕭鸞の夫人。明敬劉皇后と追尊された。本貫は彭城郡。 劉景猷と王氏(平陽郷君)の娘として生まれた。蕭道成は蕭鸞の妻として恵端を迎えさせた。建元3年(481年)、恵端は西昌侯夫人となった。蕭宝巻・蕭宝玄・蕭宝寅・蕭宝融を生んだ。永明7年(489年)、死去した。江乗県の張山に葬られた。延興元年(494年)、宣城王妃の位を追贈された。同年に明帝が即位すると、敬皇后と追尊された。永泰元年(498年)、明帝が崩御すると、改葬されて興安陵に陪葬された。
経歴
伝記資料
『南斉書』巻20 列伝第1
『南史』巻11 列伝第1
表
話
編
孝穆趙皇后* / 孝懿蕭皇后* / 武敬臧皇后* / 張太后 / 章胡太后* / 少帝司馬皇后 / 文元袁皇后 / 昭路太后 / 宣沈太后 / 殷皇后 / 文穆王皇后 / 献何皇后* / 前廃帝路皇后 / 明恭王皇后 / 後廃帝江皇后 / 謝皇后(順帝)
斉
高昭劉皇后* / 武穆裴皇后* / 文安王皇后* / 何皇后(鬱林王) / 王皇后(海陵王) / 明敬劉皇后* / ?皇后(東昏侯) / 王皇后(和帝)
梁
文献張皇后* / 武徳?皇后* / 穆丁太后* / 文宣阮太后* / 簡文簡王皇后* / 張皇后(豫章王) / 王皇后(敬帝) / (後梁)宣静王皇后 / (後梁)張皇后(明帝) / (後梁)蔡皇后(後主)
陳
武宣章皇后 / 沈皇后(文帝) / 廃帝王皇后 / 柳皇后(宣帝) / 沈皇后(後主)
*:追尊皇后・皇太后