劇男零心会
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劇男零心会(げきだんれいしんかい)は、1982年に発足し、渋谷で活動していた男性路上パフォーマンス集団である。東京ビクトリークラブ(新進新劇若手集結合体)と劇団原宿ガンジー(平賀雅臣・武野功雄・羽賀研二等)が合併してできた集団であり最盛期には50名程のメンバーが在籍していた。
経歴

発足と同時にスターダストプロモーションと契約締結。6月に劇男零心会旗揚げ公演『オレたちに明日はない』、8月東京湾船上公演、10月第二回公演『秋子』と活動を続けたが、1983年3月、路上でのパフォーマンス活動を否定するプロダクション側と衝突し契約終了。“劇男零心会”は解散した。ここで“劇男”の名称をはずしたグループ「零心会」と、“非・零心会”に分裂し、1983年7月25日、“非・零心会”メンバーによって“劇男一世風靡”が設立された。
エピソード

哀川翔小木茂光松村冬風は、劇男零心会の前身である“東京ビクトリークラブ”から所属しており、柳葉敏郎が参加したのは1982年の終わり頃である。武野功雄も、1983年3月に劇男零心会が一旦解散するまでには主なメンバーになっていた。

風見しんご野々村真羽賀研二が“劇男一世風靡”出身といわれる(あるいは自ら言っている)が、彼等が参加していたのはこの“劇男零心会”である。メンバーが共通する部分もあるが、あくまで別物である。しかし風見のみ劇男一世風靡の立ち上げに関わっており、実質有志メンバーであった。

保阪尚希は、解散・分裂後の零心会に1983年から1986年まで参加していた。

唯一の音源化されたレコードは、解散・分裂後、『ザ・ハングマンV』(1986年)のエンディングで流れた『零心会のズンドコ節』であるが、前作の『ザ・ハングマンW』(1984年)のエンディングで流れたKAJAが歌う「ありがたや節」のバックで踊っていたのも「零心会」である。

Mr.Children桑田佳祐のコンサートや、ジャニーズの舞台の振付などでも活躍してきたダンサーで振付師の川崎悦子がダンス指導をしていた[1][2][3]

ディスコグラフィ
シングル

零心会のズンドコ節(作詞:中西冬樹、作曲:不詳、編曲:水谷公正)/風太郎節(作詞:鋭角一、作曲・編曲:水谷公正)(1986年1月22日、東芝EMI / EASTWORLD、WTP-17813)? 『ザ・ハングマンV』(ABC・テレビ朝日系放映)の主題歌。このドラマには最年少メンバーの松下一矢がレギュラー出演した。

アルバム
オムニバスアルバム

ザ・ハングマン 燃える音楽簿(1998年)? 「零心会のズンドコ節」収録。

ヤバ歌謡3 NONSTOP DJ MIX -音頭編-(2014年)? 「零心会のズンドコ節」収録。

脚注^ 無給労働に謝罪の手紙 一世風靡のダンス創った振付師の辛酸 _ 女性自身2020年5月4日閲覧。
^ 10月15日(火) _ セブンルール _ プログラム _ 関西テレビ放送 KTV2020年5月4日閲覧。
^ 『滝沢歌舞伎ZERO』や『モテキ』の振付師・川崎悦子に密着『セブンルール』 _ セブンルール _ ニュース _ テレビドガッチ2020年5月4日閲覧。

関連項目

東京ビクトリークラブ

劇男一世風靡

いいとも青年隊


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