副王(ふくおう、スペイン語: virrey, ポルトガル語: vice-rei, 英語: viceroy)は、君主の代理人として植民地や属州を統治する官職、称号。 原語のvirrey, viceroyは、それぞれラテン語の接頭辞 vice- (代理)と rex (王)から来ている。副王の領土は副王領(virreinato, viceroyalty)と呼ばれる。女性の場合は副女王(英語: vicereine)と呼ばれ、まれにではあるが軍事指揮権をも保有する場合があった。また、副王夫人に対してもこの呼称が用いられた。副王の子息(令嬢)は 英語: viceigel と呼ばれた。 この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。(このテンプレートの使い方)
語源と関連語
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出典検索?: "副王"
「副王」の称号は単なる総督よりも上位の官職であることを想起させるが、実際は総督と同程度であることもあったし、属州や植民地の知事(副知事)の上官でないこともあった。
副王の職が終身職でない場合、王族の一員に名誉的に与えられる場合もあった。王位継承の可能性がある者にとって、副王(あるいはそれと同等の地位)の座が与えられることは珍しいことではなかった。副王の地位に就くことで継承者としての資質を試す意味もあったので、古代ローマの「コンソルティウム・インペリ」(帝権を2人以上の皇帝で分けるという概念)や、ディオクレティアヌス帝が行ったテトラルキアに見られるような「副帝」といった地位ほど高いものではなかった。 1137年、アラゴン王国の王女ペトロニーラとバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世が結婚してアラゴン連合王国が成立したが、この時両王国の政治的な独立や法律・行政の制度は統一されずそのまま残された[1]。このためいずれかの王が不在になる場合に備え、副王(virrey)が任命された[1]。副王は国王不在の時の「もう一人の国王」(alter ego)として国政を統括し、カトリック両王によるアラゴンとカスティーリャの連合王国も、この例に則っている[1]。 “日の沈まぬ帝国” スペインの絶対王制下では、ヨーロッパにおける領土や海外植民地を統治するために、多数の副王が任命された。ハプスブルク朝になると顕著になり、16世紀後半にマドリードに宮廷が固定すると、副王は地方行政組織の一成員へと変化した[1]。欧州では18世紀まで、アラゴン、バレンシア、カタルーニャ、サルデーニャ、シチリア、ナポリおよびポルトガル(1580年 - 1640年)などの副王は、スペイン王によって任命されていた。スペイン継承戦争以降は、ナバーラ以外はスペイン支配を離れたり廃止されたりする形で、副王制は消滅した[1]。 クリストバル・コロン(クリストファー・コロンブス)は、1492年のサンタ・フェ契約
スペイン帝国ペルー副王ホアキン・デ・ラ・ペスエラ
欧州
新大陸
アメリカ大陸が発見したスペインはコンキスタドールたちに統治を委ねた。当初は彼らが封建制の君主のような存在であったが、新大陸の重要性が認識されるにつれ、スペインは次第にコンキスタドールの権限を奪い、スペインの統治機構を新大陸に移植するようになった。