剣尾山
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剣尾山
能勢町長谷から望む
剣尾山(右)と横尾山(左)
標高784 m
所在地大阪府豊能郡能勢町
位置.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度00分12秒 東経135度24分14秒 / 北緯35.00333度 東経135.40389度 / 35.00333; 135.40389座標: 北緯35度00分12秒 東経135度24分14秒 / 北緯35.00333度 東経135.40389度 / 35.00333; 135.40389
山系北摂山系
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剣尾山 - 地理院地図

剣尾山 - Google マップ

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プロジェクト 山
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剣尾山(けんぴさん)は大阪府豊能郡能勢町宿野に位置する、標高784mの北摂山系の主要な山であり、関西百名山大阪50山の一つである。
概要

剣尾山は、大阪府の北西部に所在する山で、北は京都府亀岡市に接する。標高は784mを測り、北摂第一の峻峯である。丹波高地北摂山系のその他の山と同様に、準平原化した甞ての山脈が侵食されて残った残丘が、再隆起して作り上げられたと考えられる。この山は俗に「ツキガミネ」と呼ばれている。ツキガミネは当山ゆかりの月峯寺によるものと思われる。現月峯寺は、麓の大里村に再興されているが、もとは剣尾山山頂にあったもので、山頂付近には今でも旧寺の礎石石垣が残り、さらに周辺には石造物等がいたるところに散在し、かつてはこの地の山岳信仰の中心であり、古くから多くの信者を集めていた、往時の隆盛を物語っている。

剣尾山月峯寺は、剣尾山からやや南へ下った尾根上に位置する。剣尾山の頂上は岩盤が露出し、「イワクラ」を想わせる環境である。展望も良好で、北西は丹波の山並みが見渡せ、東は京都市内の山々も部分的に見え、南は大阪湾が遠くに見える。当寺の縁起によれば、聖徳太子の命により日羅上人が開創したといわれ、広域な山上には七堂伽藍の荘厳が奇岩霊木とともに聳え立ち、霊山として近隣に知られてきたといわれる。
歴史剣尾山および月峯寺については『摂津名所図会 下巻』[1]にも挿絵を含めた記載があり、江戸時代においても著名であったことが知られる、と共に剣尾山月峰寺を理解する上からも参考となる[2]
『摂津名所図会 下巻』 剣尾山旧跡[3]
大里村より五十町北の方、山邊村上方にあり。又中宿野より登れば阪路壱里。此道嶮岨にして渓水道を遮る。行路の半ばに梵字石あり。山嶺に至って四方を見れば、衆山空しく倚伏し、田圃の畝に似たり。南は灘の海面鮮にして、風色只ならず、東北には京師の日枝・愛宕の峰々遂に見えて、孤峯獨秀の虹外なり。

不動石 山頂にあり。岩面に不動尊像をせんす。むかし日羅道人登山の時、不動の利剣ここに降りしより名とす。蓮華岩 不動石の北にあり。梵字石 蓮華岩の下にあり。白蛇石 黒蛇石 倶に絶頂にあり。麗池 当山半腹にあり。此池中に鯉鮒多し。寶塚 月ヶ峯の西南の麓にあり。むかし月峯寺巍々たる時、寶器の中金鶏三頭をここに埋みしとぞ。今も毎年元朝には時を諷ふといふ。 ? 原田幹校訂、『摂津名所図会 下巻』、剣尾山旧跡、大正8年11月3日より抜粋
『摂津名所図会 下巻』 剣尾山月峯寺[4]
大里村にあり。真言宗。古は山嶺にありて、伽藍厳重たり。故に山号とす。本尊十一面観音 百済国日羅作。長六尺。正三位藤原公夏卿の模写し給ふ縁起文あり。又文明年中地子帳・三好長慶の喜捨文あり。

当寺開闢は上宮太子にして、百済国の日羅道人剣尾山に登山し、岩上に端座し、護摩を修するの時、不動の利剣空中より降り下るゆえ、剣尾山と号し、傍らに香木槻木あり、これより閻浮檀金大悲の尊容出現し給ふ。因よって槻峯と称し、千手の霊像より清光輝き給うにより月峯寺と改む。即其香木を以て、本尊を二躯彫刻し、一尊はここに安じ、初出現の金像をきょう中に籠めらる。一躯は川辺郡尼ヶ崎大覚寺に安置す。中頃天文十四年十二月二日、丹波八上城主波多野與兵衛尉、此地を奪はんとて、当山に乱入して放火し、くわいじんとす。其より今の地に月峯寺を遷して、下山と号す。寛文四年禅宗若珠和尚、山頭退転の地を再営して、月ヶ峯本寺を建つるといえども、天和年中又頽廃して此月峯寺一院と成れり。 ? 原田幹校訂、『摂津名所図会 下巻』、剣尾山月峯寺、大正8年11月3日より抜粋
月峯寺跡の調査[5]

月峯寺の課題
剣尾山月峯寺は、現在山麓の大里に移転しているが、剣尾山尾根上に残る中世の山岳寺院跡についてはあまり知られておらず、また研究も少ない。まさに忘れられた霊場といえるが、大阪府も滋賀県と同様に地方寺院の実態調査は進んでいない。そこで今回の報告では、中世の月峯寺跡を調査し、図面化した上で、石造物や地域史との接点を探りながら、その実態に迫りたい。
地表面観察からの寺院構造
剣尾山から南へ尾根を下ると、標高730m程の尾根の中央部に本堂跡といわれる平坦部がある。南北25m、東西23mの規模で、中心部に礎石が残っている。本堂跡から北東方向に20m程の距離に、北を除く三方が石塁囲みの平坦部がある。規模は南北20m東西46mで、寺の上級僧侶達が居住した場所の感じがする。根拠は広大な平坦部が確保され、西と南には高さ0.8m程の石塁が築かれていることや、その石塁間に2m程の出入口があることによる。本堂跡と同じ南向きで日当たりが良いが、石造物等の信仰の対象物が無い。
登山
岩、岩壁、森、剣尾山
[6]

修験者も修行の為に登った山・剣尾山。森には、大きな岩と壁が点在し、そこに描かれる仏像や梵字は、当時の様子を思い起こさせる。剣尾山の山頂からは、京都の亀岡も眺められる。最も一般的な登山路は阪急バス行者口から入山するもので、山頂までは1時間半程度。その他に、行者口から能勢の郷に入り横尾山経由のルートや大阪府青少年野外活動センター跡地から、おおさか環状自然歩道経由で入るものもある。
交通アクセス
鉄道


阪急電鉄大阪梅田駅 -22分- 能勢電鉄川西能勢口駅 -15分- 山下駅下車。


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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)
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