前頭
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この項目では、大相撲力士の地位について説明しています。バンドについては「maegashira」を、人体の部位の前頭(ぜんとう)については「」をご覧ください。
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出典検索?: "前頭" ? ニュース ・ 書籍 ・ スカラー ・ CiNii ・ J-STAGE ・ NDL ・ dlib.jp ・ ジャパンサーチ ・ TWL(2014年9月)

前頭(まえがしら)とは、大相撲力士の地位の一つ。幕内力士のうち、横綱と三役(大関関脇小結)を除いた力士をさす。役についていない幕内力士という意味で、平幕(ひらまく)と呼ばれることもある。
呼称・由来

江戸時代の前相撲の「頭」が語源であるため、正確には「役力士」と「前相撲」の両極端に位置する力士以外の全力士の格付けは前頭である。したがって番付表では十両幕下三段目序二段序ノ口の力士も「前頭」の格付けと四股名が記載される[注釈 1]

したがって、例えば平幕筆頭の力士は「幕内前頭筆頭」、幕下二枚目なら 「幕下前頭二枚目」のように呼ぶ方が正しいが、煩を避けて、それぞれ「前頭筆頭」「幕下二枚目」のように言うことが一般的になっている。これらのことから、一般的な用法としては「前頭=平幕力士」で問題はない。ただし、三役から平幕に落ちることを「前頭に落ちる」と言うことはあっても、十両力士が入幕することを「前頭に上がる」と言うことは慣例上ない。この地位に相当する行司呼出も、慣例上「前頭格行司・前頭呼出」「平幕格行司・平幕呼出」ではなく、「幕内格行司・幕内呼出」と呼ぶ。以降の記述では単に「前頭」といった場合、「狭義の前頭(=平幕、現在一般的な意味での前頭)」を指し、「広義の前頭(=番付表上の前頭、本来の意味での前頭)」は含まないこととする。

前頭は上から前頭筆頭(一枚目とは呼ばない[注釈 2])、前頭二枚目、前頭三枚目……と呼ばれ、それぞれ東西一人ずついる。
特徴
待遇

月給は140万円であり[1]、十両(110万円)より多い。
取り組み

幕内力士として、本場所では15日間毎日取組が組まれる。

これより三役」は千秋楽最後の3番の取組で原則として番付の上位6人が登場するため、平幕力士が「これより三役」に登場する機会は少ないが、横綱・大関の番付上の人数・休場者数や優勝争いなどの状況の都合で平幕力士が「これより三役」に登場する場合もあり、令和に入ってからはそのような例が多かった。
定員

前頭としての定員は定められていない。

幕内力士全体の定員は現行では42人(2004年1月場所以降)と決められており、横綱や三役の人数を除いた人数が、前頭となる。大関(あるいは横綱大関)・関脇・小結は最低でも2人ずつ置かねばならないため、現行制度では理論上は前頭は最大で36人(東西18枚ずつ)在籍できる計算になる。幕内の定員が42人となる以前については、前頭の最多人数は1957年(昭和32年)の3月場所と9月場所の46人(東西23枚ずつ)、戦後の最少人数は1967年(昭和42年)の22人(東西11枚ずつ)である。

現在定着している番付編成のルールでは、張出以外の番付記載力士について、前頭が偶数人数の場合は東西の枚数を同じにし、奇数人数となる場合は東を西より1枚多くする。1955年9月場所の前頭41人を東20枚、西21枚としたのを最後に奇数人数で西を1枚多くする編成は行われていない。

江戸時代にまで遡ると、特に文政以前の時代については、当時どこまでを幕内と呼んだかは必ずしも判然としない(二段目以下もある程度は当時でいう「幕内」に含まれていた可能性がある)が、仮に現在の番付と同様に最上段(上段)を幕内と考えるならば(実際現代では便宜上文政以前の番付についても最上段(上段)を「幕内」とする場合も多い)、幕内の前頭の歴代最少人数は6人(東西3枚)となる。
その他

前頭の地位で横綱を破ることを金星(きんぼし)といい、獲得するごとに給金が上がる。これに対し大関を破ることを銀星(ぎんぼし)、または殊勲の星(しゅくんのほし)ということもあるが、これは給金に影響しない。但し、金星は当然の事、銀星(もしくは三役力士が大関や横綱に勝った場合)でも、NHK大相撲中継では、取組後にアナウンサーからのインタビューを受ける。
記録
平幕で優勝した力士

慣例上「前頭優勝」ではなく、「平幕優勝」と表現される。

回目
場所
地位
四股名
成績
翌場所
最高位

1
1909年(明治42年)6月場所05-07/東前頭7たかみやま/高見山酉之助07-03/7勝3分03-01/東関脇(1勝6敗2分1休[注 1])03-01/関脇
21914年(大正3年)5月場所05-14/東前頭14りようこく/両國勇治郎09勝1休 [注 1]05-03/東前頭3(7勝2敗1分)03-01/関脇
31922年(大正11年)1月場所05-04/東前頭4つるかはま/鶴ヶ濱増太郎09勝1敗05-01/西前頭1(4勝6敗)04-01/小結
41926年(大正15年)5月場所05-08/西前頭8おろちやま/大蛇山酉之助10勝1敗05-02/東前頭2(6勝5敗)05-01/前頭1
51930年(昭和5年)5月場所05-05/東前頭5やまにしき/山錦善治郎11戦全勝05-05/東前頭5 [注 2] (5勝6敗)03-01/関脇
61931年(昭和6年)10月場所05-04/東前頭4あやさくら/綾櫻由太郎
(のち綾川五郎次)10勝1敗04-01/西小結 [注 3]
春秋園事件で脱走)03-01/関脇
71933年(昭和8年)1月場所05-03/幕内格別席
[注 4]みなのかわ/男女ノ川
(のち男女ノ川登三)11戦全勝04-01/西小結(8勝3敗)01/横綱
81939年(昭和14年)1月場所05-14/西前頭17てわみなと/出羽湊利吉13戦全勝04-01/西小結(5勝10敗)03-01/関脇
91945年(昭和20年)6月場所[注 5]05-01/東前頭1ひしゆうやま/備州山大八郎07-01/7戦全勝03-01/東関脇(5勝5敗)03-01/関脇
101953年(昭和28年)5月場所05-06/東前頭6ときつやま/時津山仁一15戦全勝04-01/東小結(8勝7敗)03-01/関脇
111957年(昭和32年)11月場所05-14/東前頭14たまのうみ/玉乃海太三郎15戦全勝04-01/東小結(5勝10敗)03-01/関脇
121960年(昭和35年)5月場所05-04/東前頭4わかみすき/若三杉彰晃
(のち大豪久照)14勝1敗03-02/東張出関脇(7勝8敗)03-01/関脇
131961年(昭和36年)5月場所05-13/西前頭13さたのやま/佐田の山晋松12勝3敗05-02/東前頭2(11勝4敗)01/横綱
141964年(昭和39年)7月場所05-09/西前頭9ふしにしき/富士錦猛光14勝1敗04-01/東小結(4勝11敗)04-01/小結
151968年(昭和43年)3月場所05-08/東前頭8わかなみ/若浪順13勝2敗04-01/東小結(2勝13敗)04-01/小結
161972年(昭和47年)1月場所05-05/西前頭5とちあすま/栃東知頼11勝4敗04-01/東小結(3勝9敗3休)03-01/関脇
171972年(昭和47年)7月場所05-04/東前頭4たかみやま/高見山大五郎13勝2敗03-02/西張出関脇(5勝10敗)03-01/関脇
181975年(昭和50年)7月場所05-01/東前頭1こんこう/金剛正裕13勝2敗03-01/東関脇(6勝9敗)03-01/関脇
191976年(昭和51年)9月場所05-04/西前頭4かいけつ/魁傑將晃 [注 6][注 7]14勝1敗03-01/西関脇(11勝4敗)02/大関
201984年(昭和59年)9月場所05-12/西前頭12たかりゆう/多賀竜昇司13勝2敗04-01/西小結(6勝9敗)03-01/関脇
211991年(平成3年)7月場所05-13/東前頭13ことふし/琴富士孝也14勝1敗04-02/東張出小結(4勝11敗)03-01/関脇
221991年(平成3年)9月場所05-05/東前頭5ことにしき/琴錦功宗13勝2敗04-01/西小結(12勝3敗)03-01/関脇
231992年(平成4年)1月場所05-02/東前頭2たかはなた/貴花田光司
(のち貴乃花光司)14勝1敗03-01/西関脇(5勝10敗)01/横綱
241992年(平成4年)7月場所05-01/西前頭1みといすみ/水戸泉政人13勝2敗03-02/西張出関脇(8勝7敗)03-01/関脇
251998年(平成10年)11月場所05-12/西前頭12ことにしき/琴錦功宗 [注 7]14勝1敗04-02/東小結2枚目(6勝9敗)03-01/関脇


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