前野町
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前野町
町丁
前野原温泉
.mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct,.mw-parser-output .geo-inline-hidden{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯35度46分05秒 東経139度41分17秒 / 北緯35.768033度 東経139.688069度 / 35.768033; 139.688069
日本
都道府県 東京
特別区 板橋区
地域志村地域

人口情報(2024年(令和6年)3月31日現在[1]
 人口29,762 人
 世帯数15,288 世帯

面積[2]
 1.409830684 km²
人口密度21110.34 人/km²
郵便番号174-0063[3]
市外局番03(東京MA[4]
ナンバープレート板橋
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前野町(まえのちょう)は、東京都板橋区町名[5][6]。現行行政地名は前野町一丁目から六丁目。全域で住居表示が実施されている。
地理

板橋区の中央部に位置する。北で志村、東で大原町泉町宮本町、南で常盤台、南西の一部で富士見町、西で中台に隣接する。143.6haと区内でも比較的大きな面積をもつ町である。町域内には住宅地のほか中小の工業施設が立地する住工混合市街地が見られる。町域の北部を首都高速5号池袋線が東西に走るほか、東京都道が町域の中央を南北に縦貫している。
地形

町域は武蔵野台地成増台と荒川低地の境をなす、志村地区の崖線(がいせん)の後背部に相当する。すりばち状の谷戸地形で、おおむね南(常盤台側)から北(志村側)へ向かって下り勾配であり、数多くの坂道が作られている。谷底にあたる部分に見次公園と首都高速道路5号線があり、志村との境界になっている。
地価

住宅地の地価は、2024年令和6年)1月1日公示地価によれば、前野町1-44-6の地点で47万9000円/m2、前野町6-21-4の地点で44万8000円/m2となっている[7]
歴史

廃藩置県実施前は、武蔵国豊島郡前野村。
沿革

1871年(明治4年)11月:浦和県(現埼玉県)から東京府に編入。大区小区制実施。

1878年(明治11年):郡区町村編制法により北豊島郡が設置され、東京府北豊島郡前野村となる。

1889年(明治22年)4月1日:市制町村制施行により志村と合併、東京府北豊島郡志村大字前野となる。字名として、南道附・熊野・免谷・日暮久保・城山下・田向。

1923年(大正12年):志村前野町(現在の前野町一丁目)に、谷田賀良倶商店(後に谷田製作所を経て、現在の株式会社タニタ)創業。1959年に家庭用体重計、1992年に体脂肪計の製造・販売を始める。

1932年(昭和7年)10月1日:東京府内市郡併合による板橋区発足に伴い、東京府東京市板橋区志村前野町となる(1943年8月1日 東京都制施行)。

1946年(昭和21年):淑徳高等女学校が小石川から志村前野町に移転する。

1952年(昭和27年):旭光学工業株式会社(現・リコーイメージング株式会社)が、豊島区西巣鴨から志村前野町に移転する。

1953年(昭和28年):板橋区により、志村前野町北端(現在の前野町四丁目)の自然湧水池一帯が区立見次公園として整備される。

1960年(昭和35年):淑徳短期大学が埼玉県与野市(当時)から移転する。

1961年(昭和36年)5月1日:地番整理により、志村前野町と志村清水町の一部が前野町一丁目に再編される。

1962年(昭和37年)3月1日:地番整理により、志村前野町の大部分および志村小豆沢町、(旧)小豆沢一丁目、志村中台町の一部が前野町二?六丁目に再編される。志村前野町の一部は(旧)志村町二丁目に編入される。

1969年(昭和44年):前野町二丁目に、タクシー会社日本交通の常盤台営業所が開業。

1990年(平成2年):タニタ体重科学研究所創設。

1995年(平成7年):前野町四丁目にイズミヤ板橋店開店。前野町四丁目に区立エコポリスセンター開館。

1997年(平成9年):前野町一丁目に11月20日にライフ前野町店[8]、前野町六丁目に3月18日に東武ストア前野町店開店[9]

2005年(平成17年):前野町三丁目に湧出する温泉を利用した、源泉かけ流し入浴施設「前野原温泉 さやの湯処」が開館。

2006年(平成18年):日本交通営業所が池袋に移転。跡地にスーパーマーケット三徳ときわ台店が開店する。

2015年(平成27年):イズミヤ板橋店閉店。同年11月にイオンスタイル板橋前野町店が開店する。

2021年(令和3年):常盤山部屋移転。



地名の由来

志村の台地にある志村城から見て手前に見える台地を「前野原」と称したことに由来する。
世帯数と人口

2024年(令和6年)3月31日現在(板橋区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]

丁目世帯数人口
前野町一丁目2,376世帯4,682人
前野町二丁目3,487世帯7,150人
前野町三丁目2,830世帯5,802人
前野町四丁目2,296世帯4,116人
前野町五丁目1,890世帯3,601人
前野町六丁目2,409世帯4,411人
計15,288世帯29,762人

人口の変遷

国勢調査による人口の推移。

人口推移年人口
1995年(平成7年)[10]23,768
2000年(平成12年)[11]24,100
2005年(平成17年)[12]26,354
2010年(平成22年)[13]27,865
2015年(平成27年)[14]30,748
2020年(令和2年)[15]30,958


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