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「前野朋哉」とは別人です。
.mw-parser-output .side-box{margin:4px 0;box-sizing:border-box;border:1px solid #aaa;font-size:88%;line-height:1.25em;background-color:#f9f9f9;display:flow-root}.mw-parser-output .side-box-abovebelow,.mw-parser-output .side-box-text{padding:0.25em 0.9em}.mw-parser-output .side-box-image{padding:2px 0 2px 0.9em;text-align:center}.mw-parser-output .side-box-imageright{padding:2px 0.9em 2px 0;text-align:center}@media(min-width:500px){.mw-parser-output .side-box-flex{display:flex;align-items:center}.mw-parser-output .side-box-text{flex:1}}@media(min-width:720px){.mw-parser-output .side-box{width:238px}.mw-parser-output .side-box-right{clear:right;float:right;margin-left:1em}.mw-parser-output .side-box-left{margin-right:1em}}この項目には、JIS X 0213:2004 で規定されている文字(ハートマーク)が含まれています(詳細)。
まえの ともあき
前野 智昭
プロフィール
本名前野 智昭
愛称まえぬ[1]、智くん[2]
性別男性
出身地 日本・茨城県下妻市[3][4][5]
生年月日 (1982-05-26) 1982年5月26日(41歳)
血液型A型[3]
身長176 cm[6]
職業声優
事務所アーツビジョン[3]
配偶者小松未可子(2020年 - )
公式サイト前野智昭オフィシャルブログ
前野智昭
YouTube
チャンネル
前野智昭ちゃんねる
活動期間2020年6月30日 -
ジャンルゲーム、料理、雑談
登録者数11.5万人
総再生回数4,770,350 回
チャンネル登録者数・総再生回数は
000000002023-07-08-00002023年7月8日時点。
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前野 智昭(まえの ともあき、1982年5月26日[5] - )は、日本の男性声優。茨城県下妻市出身[3][4][5]。アーツビジョン所属[3]。妻は同じく声優の小松未可子。 小学2年生くらいの時に姉と一緒に観ていた『ドラゴンボール』がきっかけで声優を志す[7]。本格的に声優を意識したのは中学1年生の時に『ときめきメモリアル』をプレイしてから[7]。出演している声優を非常に好きになり、具体的に声優を目指したいと思うようになった[8]。考えていた進路は反対されるかもしれないことから高校進学後に声優の学校に入学するための学費を貯めようと思い、ファミレスのウェイターのアルバイトをしていた[9]。姉が先に声優の専門学校に入り[7]、自身は別の声優専門学校であり、ラジオで知ったアミューズメントメディア総合学院に入学し[9]、2003年に卒業[10]。インターンシップで外画作品に出演していたため、アミューズメントメディア総合学院から推薦したアーツビジョンに預かり入所しつつ日本ナレーション演技研究所で学んだ[11]。 母校のアミューズメントメディア総合学院では卒業後しばらく、アシスタントのアルバイトをしていた。アーツビジョンでは預かりが3年、新人登録が3年と下積みの時代を6年間経験し、この期間を経て正所属となった[8]。アミューズメントメディア総合学院では柿原徹也と同期であり[12]、卒業後すぐに活躍していた柿原の姿を見て、ジェラシーを感じていたとのちに語っている[13][8]。また、日本ナレーション演技研究所では鈴木達央、植田佳奈[11]、神原大地、中村繪里子と同じクラスだった。 初仕事はアミューズメントメディア総合学院時代のインターンシップでのドラマCD『カナリア ?この想いを歌に乗せて?』だった[12]。外画の吹き替えで声優デビューした[11]。 当時は内容も難しい歴史関連の3部作で主役を演じていたが、セリフ量がハンパなく、4ページぶち抜きの長ゼリフが平気で、とてつもなく荷が重い作品だった[11]。演技力でこの大作を乗り切れるかどうか不安はあり、案の定、3部作の途中で主役を他の声優と交代することになった[11]。しかしほかの役も演じていたため、作品としてはまっとうしていたが、ほろ苦いデビュー作になってしまったという[11]。 アニメも、ちょい役では出演していたが、仕事のほとんどは外画だったという[11]。 外画を中心に活動していたが、ある外画の現場に、同い年で新人マネージャーが見学に来ていた[14]。その時に「僕は今、ずっと外画をやらせていただいてるんですけど、アニメにも出演したいんです」という話をしていたが、テレビアニメ『図書館戦争』のオーディションの話をくれた[14]。それまで外画畑で、その新人マネージャー以外には、アニメを「本格的にやりたい」というアピールを真剣にしたことがなかったという[14]。 ベテランのマネージャーだったら、萎縮して、気軽に夢を喋ることはできなかったと語る[15]。後から話を聞いたところ、そのマネージャーも、自分で役者をオーディションに推薦する作品は、『図書館戦争』が初めてで、野望も思い出してくれて、ボイスサンプルを聴いて直感で選んでくれたようだったという[15]。 それほど仕事がなかった時期ではあったが、スタジオオーディションの日が外画の仕事と重なり、会場に行けず、芝居を聴いてもらえたのは、1次審査用のテープだけで「スタジオ審査できてないから、これは絶対に駄目じゃないか」と諦めていた[15]。その時に原作者の有川浩も含めて、満場一致で前野に決まり、2008年、アニメとしても初めての大役である『図書館戦争』の堂上篤役に抜擢される[15]。 それまで、アニメのオーディションを受けたことは色々はあったが、合格したのは『図書館戦争』が初めてで、「まさか!」と驚いていたという[15]。 同年、『図書館戦争』と同時期に出演が決まった『魔法遣いに大切なこと ?夏のソラ?』の緑川豪太役に抜擢される[16]。『図書館戦争』だけだったら、「またしばらくアニメとは縁遠くなるだろうな」と思っていた時の作品だったため、「あ、コレだけで終わらないんだ」という安心感があり、オーディションでくれた役のため、自分の自信にも繋がったという[16]。
経歴