このページ名「前近代」は暫定的なものです。
代案としては後古代、後古典期があります。
議論はノートを参照してください。(2021年10月)
前近代(英語: pre-modern era)または後古代(英語: post-ancient era)、後古典期(英語: post-classical era,post-antiquity era)とは、世界史の時代区分において古代の終わりとされる紀元500年ごろから近世に入る1500年ごろまでを指す。ヨーロッパにおいては中世と時代の範囲が概ね一致する。この時代では地理的に文明化が成し遂げられた地域が拡大し、文明間での交易ネットワークが発達したことが特徴的である[1][2]。
アジアでは、イスラム帝国などによるイスラームの拡大
(英語版)によってイスラーム黄金時代が到来し、アジアやアフリカ、ヨーロッパ間の交易が盛んとなり、イスラム科学が発達した。東アジアでは中華帝国の影響圏が確立され、朝鮮や日本、ベトナムなどに仏教や宋明理学が広がった[3]。また、中国では火薬が発明された。13世紀にはモンゴル帝国がアジアや東ヨーロッパに版図を広げ、安全で強固な貿易が行われた[4]。 世界人口は500年の推定2億1000万人から1500年の4億6100万人とほぼ倍増している[5]。しかしながら、この間人口が増え続けたわけではなく、ユスティニアヌスのペスト(英語版)、モンゴル帝国の征服事業(英語版)、黒死病によって減少した時期もある[6]後古典期は世界史の歴史学者の用いる時代区分で、特に後古代の概念は20世紀後半から21世紀初頭にかけて発展した[2]世界史以外では「中世」や「暗黒時代」といった用語に対する誤った先入観を排除するために「前近代」や「後古代」、「後古典期」といった語が使われるが、これらの語もまたヨーロッパ中心主義的で世界規模で用いることには問題があるとされている[7]。
前近代または後古典期は、おおよそ西暦500年ごろから1450年ごろまでを指す[2]。開始年や終わりの年は各地域の古代の終わりによることが多い。例えば、中国では220年の漢王朝の滅亡(英語版)、西ヨーロッパでは476年の西ローマ帝国の滅亡(英語版)、インドでは543年のグプタ朝の滅亡、イランでは651年のサーサーン朝の滅亡を古代の終わりとすることが多い。
世界史の時代区分では、6つまたは5つに時代を区分した時の古い時代から3つ目の時代が前近代(後古代、後古典期)にあたる。
初期の文明
古代社会
後古典期(前近代)