前田斉敬
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 凡例前田斉敬
時代江戸時代中期
生誕安永7年9月13日1778年11月1日
死没寛政7年6月30日1795年8月14日
改名教千代、勝丸、犬千代、利博、斉敬
別名又左衛門(通称
戒名観樹院殿法山道輪大居士
官位正四位下左近衛権少将佐渡守
加賀藩世嗣
氏族前田氏
父母前田重教、金井氏娘・安
前田治脩
兄弟邦姫、頴姫、斉敬、藤姫、斉広
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前田 斉敬(まえだ なりたか)は、江戸時代中期の加賀藩の世嗣。官位正四位下左近衛権少将佐渡守
略歴

安永7年(1778年)9月、9代藩主前田重教の長男として金沢にて誕生した[1]。幼名は教千代。父・重教の隠居後の誕生である。

同年12月、重教の跡を継いで10代藩主となっていた叔父・前田治脩の養子となる。翌安永8年(1779年)正月、松平の名字を与えられる[2]寛政2年(1790年)9月江戸に上る。11月名を教千代から勝丸、さらに犬千代と改めた上で、又左衛門と称しを利博とする。翌寛政3年(1791年)、11代将軍・徳川家斉より偏諱を授かって斉敬に改名。正四位下・左近衛権少将に任じられ、佐渡守を称する。

しかし、襲封前の寛政7年(1795年)に早世した。享年18。代わって異母弟・斉広が養嗣子となり、家督を継いだ。
系譜

父:
前田重教(1741年 - 1786年)

母:安 - 青操院、金井氏、側室

養父:前田治脩(1745年 - 1810年)

婚約者:備姫 - 徳川重倫の娘

脚注^ 以下、『加賀藩史料』。
^ 村川浩平『日本近世武家政権論』175-176頁。


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