この項目では、文芸評論家の前田愛について説明しています。その他の用法については「前田愛」をご覧ください。
前田 愛
(まえだ あい)人物情報
生誕前田 愛(よしみ)
(1931-04-20) 1931年4月20日
日本
神奈川県高座郡藤沢町
(現・藤沢市)
死没1987年7月27日(1987-07-27)(56歳)
出身校東京大学
学問
学派ポスト・モダニズム
研究分野国文学
近代日本文学
研究機関成蹊大学
立教大学
主要な作品『幕末・維新期の文学』
『幻景の明治』
『都市空間のなかの文学』
『近代日本の文学空間』
主な受賞歴亀井勝一郎賞(1976年)
芸術選奨文部大臣賞(1982年)
日本地名研究所風土研究賞(1983年)
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前田 愛(まえだ あい、男性、1931年4月20日 - 1987年7月27日)は、日本の国文学者・文芸評論家。本名は前田 愛(よしみ)。
経歴は医師で、出生後すぐに父が三重県山田簡易保険健康相談所に勤務したため、宇治山田(現三重県伊勢市)に移る。5歳で父が北海道帝国大学に勤務したため、札幌に移り、再び7歳の時に父が旭川の病院に勤務することになったため、旭川に移った。8歳で藤沢に戻り、9歳で同じく医師であった祖父が死去した。
1950年に神奈川県立湘南高等学校卒業し、東京大学文科二類に入るが結核を発病して休学。1957年、同文学部国文科を卒業。1952年から駒場の演劇サークル「劇研」に参加し、演劇活動に加わった。しかし1960年には結核が再発し、肋骨を切る手術を受けた。1962年に横山峰子と結婚し、また翌年までスタンフォード大学日本学研究センター講師をつとめた。1963年清泉女学院中高等学校で日本語教師をつとめた。1965年、東大大学院博士課程を単位取得満期退学。1966年、成蹊大学文学部専任講師に着任。1970年、立教大学文学部助教授となり、1975年に教授昇進。1981年シカゴ大学客員教授。
学外では、1976年「毎日新聞」書評委員。1977年「読売新聞」書評委員。1978?82年「朝日新聞」書評委員をつとめた。1977年河合隼雄、中村雄二郎、山口昌男らと共に研究会「都市の会」に参加。
1987年、小腸腫瘍のため死去[1]。享年56歳。没後、筑摩書房より『前田愛著作集』が刊行されている[注釈 1]。 けん玉が得意であり、学生の前でも披露していた。身長は高く180センチ近くあった。
受賞
1976年:亀井勝一郎賞(第8回)〔昭和51年〕「成島柳北」
芸術選奨文部大臣賞(第33回:文学評論部門)〔昭和57年〕「都市空間のなかの文学」
日本地名研究所風土研究賞(第2回)〔昭和58年〕「都市空間のなかの文学」
研究内容・業績
元々の専攻は日本近世文学だが、幕末・明治期の文学を扱い、次第に近代日本文学に主軸を移した。
1979年に『樋口一葉の世界』を刊行。『一葉全集』(小学館)編纂に参加。没後刊だが『斎藤緑雨全集』(筑摩書房)にも参加した。
テクスト論、記号論など新しく興った文学理論を次々に研究に取り入れていった。
都市小説論の集大成として『都市空間のなかの文学』を著した。
成島柳北の『硯北日録』などの貴重書を含む13.000点にも及ぶ蔵書は、1998年にコーネル大学が購入した[2]。
その他
家族・親族
父:前田愛天は医師。1938年に北大で医学博士号を取得。
祖父:前田愛郷も医師で、藤沢の開業医であった。
著作
1972年 『幕末・維新期の文学』 法政大学出版局「叢書・日本文学史研究」、オンデマンド版2011年
1973年 『近代読者の成立』 有精堂/岩波同時代ライブラリー、1993年/岩波現代文庫、2001年 岩波現代文庫 解説:飛鳥井雅道
1976年 『成島柳北』 朝日新聞社「朝日評伝選」/朝日選書、1990年、オンデマンド版2005年
1976年 『鎖国世界の映像』毎日新聞社「江戸シリーズ」
1978年 『幻景の明治』 朝日選書、オンデマンド版2005年/岩波現代文庫、2006年 解説:川本三郎