銀行家の「前田實」あるいは「前田穣 (政治家)」とは別人です。
背景美術スタッフの前田実、映画カメラマンの前田実とは異なります。
まえだ みのる前田 実
プロフィール
別名義前田 みのる
生年月日 (1954-03-24) 1954年3月24日(70歳)
出身地 日本・北海道
職業アニメーター
キャラクターデザイナー
ジャンルアニメーション
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前田 実(まえだ みのる、1954年3月24日[1] - )は、日本のアニメーター、キャラクターデザイナー。北海道出身[1]。血液型はA型[1]。別名義として前田 みのるがある。 1970年、スタジオジュニオ(以下ジュニオ)の第1回のアニメーター募集で入社。アニメーターの前田庸生や大塚康生から技術を吸収して、ジュニオが下請けを行なっていた東映動画作品、東京ムービー(Aプロダクション)作品の動画からキャリアをスタート。テレビアニメ『はじめ人間ギャートルズ』などの原画を経てジュニオの中核アニメーターに成長し、特に1980年代は、キャラクターデザイナーのデビューになったテレビアニメ『Dr.スランプ アラレちゃん』(1981年)を皮切りに、『タッチ』、『ドラゴンボール』といった大ヒット作のキャラクターデザインと総作画監督を歴任した。 1988年の『それいけ!アンパンマン』開始後は、長く続けた東映動画の『ドラゴンボールZ』も1993年で降板して、アンパンマンシリーズが前田の仕事の中心となった。他にも、杉井ギサブロー監督とは『ナイン』以来の長い付き合いとなっており、コンビを組んでグループ・タック作品などにも参加することも多い。 1998年には、我妻宏、岡崎稔らと共に、シナジージャパン(現:SynergySP)の設立に参加し、同社の取締役に就任した。
略歴
人物・エピソード
前田が業界に入った当時のアニメ化作品のキャラクターデザインが原作と異なることが多かった状況について漫画家の絵は下手糞という認識のあったアニメーターの傲りだったとし、前田のポリシーとしては「たとえ画が下手だったとしても、下手なりにファンがいるわけだから、そっくりそのまま表現しないとおかしい」という見解からキャラクターデザインするようになってからは、線1本まで似せるようにしているという[2]。そのような意識の中で様々なエピソードがあり、若手時代に原作のコマに着色して喋っているだけの「忠実な」映像化を行い演出家に激怒されたことがあるという、これに関しては後年前田自身が失敗だったことを認めている[3]。また、長年キャラクターデザインを務めていた『ドラゴンボール』では亀仙人の頭のラインを描くのが苦手で原作者の鳥山明を訪ねて目の前で亀仙人を描いてもらい、それを見て「描き方が違うから、描きにくかったんだ」と気づいたといい、「普通、右利きの人は右上から左下に線を引くじゃないですか。だけど、鳥山君は左下から右上に線を引いてたんですよ。それだけの違いだったんです。」としている[4]。
現場の経歴としてはキャラクターデザインを務めた『Dr.スランプ アラレちゃん』、『それいけ!アンパンマン』で何度か絵コンテを経験した程度で、一貫してアニメーターの道を歩んでいるが、宮本茂と親交があるため、1980年代には任天堂から発売されているゲームソフト『ゼルダの伝説』シリーズの初期のイラストレーションも請け負っていた。前田の名前は、1998年発売の『ゼルダの伝説 時のオカリナ』のスタッフクレジットでも「Illustration Support」(監修協力)として表記されている[5]。
佐藤正樹は『ドラゴンボールZ』に参加した際、前田から前日の夕方に連絡を受けアイキャッチ部分の作画を「明日の昼までにあげろ!」と無茶振りを要求され絵コンテの内容に尺が合わず苦労の末完成させたものの、放映を見た前田に「正樹! 何だ、あれは!」と激怒されたという。だが放送中、このアイキャッチが『ドラゴンボールZ』数年にわたって一番多く使われ、後年このアイキャッチの絵のカードダスがまんだらけで買い取り額が百万円だったことを知り驚いたという[6]。
若手時代に前田と仕事をした清水保行によると若手のアニメーターと仕事をする際、描いた絵は直すものの、動きのタイミングは絶対に直さなかったといい、その結果必ず自分らしさが残ることから若手のモチベーションも上がったという[7]。
参加作品
テレビアニメ
1968年
巨人の星(動画・原画)
1969年
ひみつのアッコちゃん(動画)
もーれつア太郎(動画)
1970年
魔法のマコちゃん(動画)
1971年
ルパン三世(動画)※第1回「ルパンは燃えているか・・・・?!」:動画
1972年
赤胴鈴之助(動画)
マジンガーZ(原画)
魔法使いチャッピー(製作進行)
1973年
荒野の少年イサム(原画)
1974年
柔道讃歌(作画)
はじめ人間ギャートルズ(原画)
魔女っ子メグちゃん(原画)
1975年
元祖天才バカボン(原画)
まんが日本昔ばなし(原画)
1976年
まんが 花の係長(原画)
1977年
新・巨人の星(原画)
1978年
新・エースをねらえ!(作画監督)
1979年
新・巨人の星II(原画)
ベルサイユのばら(原画)
ドラえもん (1979年版)(作画監督)
1980年
太陽の使者 鉄人28号(メカニック・デザイナー[8])
ムーの白鯨(原画)
1981年
Dr.スランプ アラレちゃん(チーフ作画監督・作画監督・絵コンテ)
1982年
Dr.スランプアラレちゃん ペンギン村英雄伝説(1982年、チーフ作画監督)
1983年
ナイン2 恋人宣言(チーフアニメーター)
1984年
ナイン 完結編(作画監督)
1985年
タッチ(総作画監督・タイトルアニメーション)
1986年
ドラゴンボール(1986年 - 1989年、チーフアニメーター・作画監督)