前田利祐
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前田 利祐(まえだ としやす、1935年昭和10年〉11月6日 - )は、旧加賀藩前田家第18代当主。宮内庁委嘱掌典。全国石川県人会連合会会長。関東東京石川県人会会長。四高記念文化交流館初代館長[1]
経歴

学習院大学政経学部を卒業後、日本郵船に入社し、のちに同社のグループ会社である八馬汽船常務取締役を務めた。徳川宗家第18代当主である徳川恒孝は、学習院大学政経学部・日本郵船の双方で5年後輩である[2]。前田と徳川は日本郵船で同じ部に勤務したことがあり[2]、徳川は当時のことを下記のように回想している。随分昔ですが、人を怒鳴ることで有名な副部長がいまして、「前田!徳川!ちょっと来い!」などと呼びつけたのは太閤様以来おれだけだ、といっていたとのことです。 ? 徳川恒孝、[2]

2001年平成13年)12月7日敬宮愛子内親王の「浴湯の儀」において、徳川(徳川宗家当主)と前田(加賀前田家当主)の2人は、「読書役(とくしょやく)」の児玉幸多(学習院大学名誉教授)と共に、読書鳴弦の儀を執り行った。父・利建1960年昭和35年)2月29日浩宮徳仁親王(現・第126代天皇)および1965年(昭和40年)12月6日礼宮文仁親王(現・皇嗣)の浴湯の儀において鳴弦の儀を執り行っており[3]、親子2代で鳴弦の儀の役目を務めたことになる。

2023年令和5年)10月、金沢・尾山神社の祭礼に参列した後の宴席で、同年11月に家督を長男の利宜に譲る考えを示した。前田家の家督の生前継承は、1866年の13代斉泰から14代慶寧への継承以来157年ぶりとなる[4]
家系

加賀前田家初代前田利家の直系の男系子孫であり、血統上の主な先祖には他に徳川家康浅井長政織田信秀鍋島直茂池田輝政島津義弘毛利元就などがいる。
系譜

前田利祐父
前田利建祖父
前田利為曾祖父
前田利昭
曾祖母
酒井春子
祖母
前田I子曾祖父
前田利嗣
曾祖母
鍋島朗子

前田政子祖父
黒田長禮曾祖父
黒田長成
曾祖母
島津清子
祖母
黒田茂子曾祖父
閑院宮載仁親王
曾祖母
載仁親王妃智恵子

家族

妻:牧万里子(父・
牧定忠

子女:

長男:前田利宜

長女:山田友子(山田久倫夫人)

次女:明子


著書

共著『おまつと利家―加賀百万石を創った人びと』(
集英社、2001年9月)ISBN 9784087812312

脚注[脚注の使い方]^ 「新拠点、幻想的にライトアップ 四高記念文化交流館が開館」『北國新聞』2008年4月27日(2012年8月2日時点のアーカイブ
^ a b c 財団法人徳川記念財団理事長 徳川恒孝 (2008年1月10日). “「食と農を結ぶ活力あるJAづくりのために 2008」”. 農業協同組合新聞. 社団法人 農協協会. 2019年2月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月17日閲覧。
^ 『朝日新聞』東京本社版、1960年2月29日付夕刊第3版1面および1965年12月6日付夕刊第3版1面
^ “加賀百万石の前田家、18代当主が交代へ 157年ぶりの生前継承に”. 朝日新聞. (2023年10月4日). https://www.asahi.com/articles/ASRB37SMYRB3PISC009.html 2023年10月5日閲覧。 










加賀前田家第18代当主(1989年 - 2023年)
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